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『EVERYDAY NOTES』

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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2011 march

3月31日(木)
 午前中メールなどの雑務。梅田で打ち合わせ一本。昼、ランチして面白い話をたくさん聞く。こうした色んな縁を大切にしたい。

 午後、淡路島の山田脩二さんから頂いた瓦などの入った大きな荷物を持って新幹線で帰京。半月ぶりに東京に帰って来たら、品川駅からして節電効果で暗かったが、大きなパニックはなく、放射線の不安を抱えつつも平常に戻っているように見受けられる。

 夕方、台場のギャラリー21へ。『FOREST AMONG US』のメンバーが揃って、太田菜穂子さんが写真展の解説をした後にプロジェクトについての説明と方向性を話す。その後数人で食事をしながら話し合う。311以降、文化と文明のあり方について変革期になっている現況を「気付き」から「変換」に実行することが大事だと共感する。次のフェーズに向けてやれることをしたい。

 夜は、荷解きとデスクワーク。久しぶりの事務所に落ち着きを感じ、郵便物を整理したり、ゆっくりとこれからの動きについて考える。メールなどの雑務。東京の夜景は暗く、月が煌々と輝いていて二つ見える様な気持ちになる(1Q84)。

 深夜、『下流思考』(内田樹、講談社、2007)を再読する。「労働は私事ではないからである。労働は共同体の存立の根幹にかかわる公共的な行為なのである(p8)」ということと「消費とは本質的に無時間的な行為であり、消費者は無時間的な「幽霊」なのです(p66)」ということが意味する「時間の感覚」を建築のテーマとして読み替えられないかと考える。

3月30日(水)
 午前中、「凱風館」の現場へ。職人さんたちが手際よく基礎の型枠を取り外していた。とっても綺麗な基礎が姿を現す。これでホールダウン金物とアンカー以外は、全てコンクリートの中。外部の配管をして、足場を組んだらいよいよ二週間後には木工事、建て方だ。楽しみ。

 御影公会堂の食堂にて美味しいオムライスを食して、中島工務店神戸支店へ。設計の打ち合わせ。サッシ枠や屋根のディテールを一つ一つ確認していく。細かいところまでみっちり打ち合わせしてたら5時間半経っていた。三宮から奈良まで帰りの電車はぐっすりと寝続けてしまった。

 夜、メールなどの雑務。打ち合わせ資料と写真の整理をして、今朝の現場レポートを作成。深夜、いくつかの本を雑読して寝る。

3月29日(火)
 早起きして、電車で三宮まで行って、バスに乗り換えて淡路島へ。天気もよく、明石海峡大橋からの眺めは素晴らしかったが、津波による大災害の映像を見てしまった今、単純に海を見て美しいとは言えなくなってしまった。

 陸の港西淡にて山田脩二さんに迎えに来て頂く。簡単な自己紹介から始まって、のっけからあれこれと話が車中で盛り上がる。早速、脩二さん宅でダルマ釜を見学させてもらったり、魅力的な瓦をいろいろ見せてもらう。複雑で深みのあるイブシの色味にホレボレする。「凱風館」の図面を使って建物のコンセプトから説明し、玄関土間や外構における瓦のデザインを見てもらう。すごく共感して頂き、一緒に仕事してもらえるとのこと。内田先生の『日本辺境論』も読んでいた。その後、お刺身とお肉を食べながらビールと日本酒を頂く。脩二さんから瓦の話から写真家時代の話、石山さんの話、「津々浦々」という言葉についてなど楽しい時間を過ごす。71歳とは思えないエネルギー。あっという間の六時間。石山さんを通して知り、ときの忘れものギャラリーで昨年綿貫さんに紹介して頂いた山田脩二さんとこうして一緒に仕事ができる喜びを噛み締める。何より、瓦の生まれる場所を少なからずこうして体験させてもらえてとても良かった。また桜の咲く頃に来たい。

 ほろ酔いで、三宮までバスで帰って来て、長居スタジアムへ。「東北地方大地震復興支援チャリティーマッチ」を観戦する。長谷部と中沢両キャプテンからの被災者へのメッセージ。国歌斉唱の後、黙祷。試合が始まれば全日本が試合を完全に支配する。本田と長友のコンディションが良かったのか、素早い気持ちいいサッカーで遠藤の直接フリーキックと岡崎のゴールで2ー0で前半を折り返す。後半は、何たってキングカズのゴールでJ選抜が一矢報いて、スタジアムは最高潮の盛り上がり。奇跡のカズダンスがラストダンスにならないように願いたい。日本最高峰のサッカーを見せてくれた両チームと見に来た4万人のサポーターの思いや元気が東北地方に届いてほしいと心から願う。

 夜、奈良の実家に帰ってくる。メールなどの雑務。今日、淡路島で撮った写真を整理する。深夜、美容サロンの減額案のスケッチを進めて、寝る。いやはや、長い充実した一日となった。疎開生活も後二日。

3月28日(月)
 午前中、三宮にて中島工務店の加藤さんと打ち合わせ。プレカット関係のポイントを整理して話し合う。昼、友人とランチ。共にスペイン帰りということで大いに盛り上がる。

 午後、甲南にある三宅接骨院へ。初めての整体治療。特別どこか痛いとかでなく、身体を見てもらいたくて行く。自分の直立状態が自然と左に曲がっていて、身体に不必要な負荷がかかっていたことを知る。治療しながら間接の動き方や三方向の軸についての分かりやすい三宅先生の話に目から鱗。半時間ほどの筋肉をほぐす治療で身体はシャキッと左右対称に。左に向く時の半分しか右に向けてなかったのが解消。内田樹先生の膝を三宅先生が治療した話を本で読んで以来強い関心をもっていたが、今日、実体験を通してその凄みに深く感動した。

 夕方、カフェで仕事。プレカットの資料を確認し、懸念ポイントのスケッチと検討。その後、もろもろの電話対応。夜、美容サロンの再見積りのための減額案のスケッチ。厳しい数字だがしっかりとまとめられるように工夫したい。

 深夜、メールなどの雑務と明日の淡路島行きの準備。読書して寝る。

3月27日(日)
 午前中、メールなどの雑務。昼から御影の内田先生宅にて甲南麻雀定例会。みんなで巨大地震からの生活/日本全体の変化についてあれこれ話し込む。今日も実に沢山の方々が来て楽しくジャラジャラ。四戦一勝という平均的な成績。

 夜、「凱風館」の原稿を少し書く。何かを伝えることの難しさ、言葉をしっかりと紡ぎ出して書き進める。読書をして早めに寝るつもりが、ついついこの動画を見始めたら最後まで見てしまう。1時間50分。絶句のあまり笑いそうになる。怒られている時に笑ってしまうあの感覚。色んな意見があるだろうけど、危険な方を知って楽観した方がいいのではないか。無知でいるよりは、過剰に動いて、大丈夫だったら「俺ったら過敏に反応しちゃったな」でいいじゃない。時間のある時にしっかりと見てもらいたい。「2011.3.26. 広瀬隆氏講演会」(http://www.youtube.com/watch?v=a3FgZoPdfTw)

3月26日(土)
 午前中、ゆっくり寝る。昼、両親とおばあちゃんと一緒に京都までドライブ。目的の金物屋さんで釘隠しをあれこれ物色。小さなものだけど、端正に作り込まれた美しき装飾品。「凱風館」の中でアクセントとして使いたいと思っている。

 それから嵐山まで行ってトロッコ列車に乗る。観光気分。もうすぐ四月だが冷たい風の吹く中、京都の自然を堪能。久しぶりに少し車の運転もできて楽しい休日となった。

 夜、今週の東京に戻ろうと思っているので、今ここでできることを今一度整理して、準備する。気がつけば関西に来て二週間弱。しっかりと現状を把握して、今自分にできることをコツコツと進めたい。

3月25日(金)
 午前中、メールなどの雑務。来週の淡路島への出張も決定。山田修二さんと瓦についてあれこれと打ち合わせの予定。
楽しみ。

 東日本大地震からもう二週間が過ぎている。依然としてこの巨大地震と津波による被害の全容も見えず、社会の基盤は大きく揺るがされたまま、東京電力の福島原発もまだ予断を許さない状態が続いている。節電に買い占めと東京の混乱も続いているようだ。被害者の方々へのお悔やみとお見舞いを願うとともに、少しずつ事態が収束し、好転するのを心より願いたい。

 午後、神戸文化ホールにて「神戸能」絵馬/因幡堂(狂言)/天鼓を鑑賞。能の独特な動きを観察しながら、現代人と昔の人の身体性の違いについて考える。また三間四方の舞台を実に広く感じさせる動きに見入る。衣装もまた美しく、タイムスリップした感覚になる。

 夜、「凱風館」のプレカット図のチェックを進める。立面図のスケッチも続ける。深夜、原稿を一本書き上げる。今できることをしっかりと進めたい。

3月24日(木)
 午前中、メールなどの雑務。昨日の現場レポートを作成。昼、四つ橋のキッチンハウスにてキッチンの打ち合わせ。東日本大震災で東北の工場が打撃を受け、レンジフードの生産が止まってしまったらしい。細かい仕上げについて、あれこれと話し合い、再見積りを依頼する。

 夕方、カフェで仕事。打ち合わせ資料を整理し、デザインのポイントをまとめていく。奈良に帰宅し、いくつかの電話対応。

 夜、メールなどの雑務。届いた美容サロンの見積りチェックも進める。深夜、ドイツのニューンベルグでこの夏企画されているシンポジウムより、レクチャー・パネリストのオファーの打診を受ける。都市と自然というテーマもまた面白いそうだし、スケジュールも調整できるのですぐに快諾のメール。読書して寝る。『ためらい倫理学』を再読。僕にとって初めて読んだ内田先生の本。

3月23日(水)
 午前中、「凱風館」の現場に行く。基礎の立ち上がりコンクリートの打設工事。ポンプ車が来てスタンバイし、生コン車が来たらすぐにスタート。五人の職人さんたちが手際よく型枠の中に丁寧にコンクリートを打設。後ろからバイブレーターでしっかり拡散し、そのまた後ろからレベルを確認して押さえていく。

 午後、少し固まったコンクリートの上をけがき、ドロッとしたレベラーコンクリートを流して天端のレベルを揃える。これでミリ単位の精度が出る。これで基礎工事は養生期間に入る。現場の仕事をしっかり確認し、内田樹先生宅へ。設計の打ち合わせ。床のデザインや収納、キッチンについても話し合う。

 夜、夙川で美味しいイタリアンを食す。深夜、現場の写真を取り込んで整理する。朝が早かったので、ベットに倒れ込むように寝る。

3月22日(火)
 午前中、メールなどの雑務。昼、いくつかの電話対応。午後、あまりに天気がよくて、急に母校の小学校まで歩きたくなったので、お散歩。20年ぶりに歩く通学路は短く感じた。やはり、体が大きくなったので坂も短く、すぐに学校まで着いてしまった。しかし、春めいた空気なのか、歩きながら漂う何気ない匂いが小学生の時の記憶を引き出す。臭覚と記憶の密接な関係を自覚する。

 小学校に着いて、校庭に建設されたプレハブ教室を見てたら、校舎の方から見覚えのある顔が。僕が所属していた少年野球チームの監督が歩いて来て、20年ぶりの再会を果たす。75歳になり、未だ元気で総監督をしているとのこと。一緒に富雄の方まで歩いて、思い出話や近況報告に盛り上がる。

 夕方、「凱風館」の立面図や展開図にトレペを重ねてスケッチを繰り返す。明日の打ち合わせ準備を進める。夜、USTでシンディー・ローパーのライブを見る。彼女の音楽が持つエネルギーは、いかなる形にしろ、きっと東北の被災者にも届くだろう。

 深夜、Keith Jarrett / Charlie Haden の『JASMINE』を聴きながら内田先生の『下流思考』の再読を進める。いつ読んでも面白く、発見が多い本。次の箇所にハッとする。「リスク社会を生き延びることができるのは「生き残ることを集団的目標に掲げる、相互扶助的な集団に属する人々」だけです。(中略)「自己決定し、その結果については一人で責任を取る」というのはリスク社会が弱者に強要する生き方(というよりは死に方)なのです」(p102)

3月21日(月)
 春分の日、奈良はどんよりと雨。午前中、メールなどの雑務。「凱風館」のあれこれについて考える。立面図のスケッチや収納のアイデアを整理する。

 『ランプコントロール』(大崎善生、中央公論新社、2010)を読み終わる。小説は、村上春樹しか読まなくなって久しい。でも、この小説を勧められて興味を持った。書き出しがフランクフルトマイン空港ということは、ルフトハンザの機内から始まる『ノルウェイの森』を思い出さずにはいられない。しかし、二十代後半をドイツという異国で過ごしたということが自分の人生とシンクロするせいで物語の細部まで深く感情移入し、一気に読んでしまった。ずっしり恋愛小説。この不思議なシンクロ感は、学生時代に宮本輝の『オレンジの壷』を読んだ時に似ているのを思い出す。

 夜、カレーをたらふく食べる。それから「凱風館」の写真を整理して現場レポートを作り上げる。深夜、『雑文集』(村上春樹、新潮社、2011)を読み始める。

3月20日(日)
 午前中、ゆっくり寝る。昼、メールなどの雑務。打ち合わせ資料を整理しながら、家具のアイデアのスケッチを始める。

 夕方、母と祖母とイオンモールへお出かけ。まるでアメリカのショッピングモールそのものに驚く。三層のアトリウム空間。ぶらぶら人間観察をしていたら、自分より明らかに若い人たちが小さい子供を連れていることに気づく。

 夜、NHKの地震特番を見て、復興についてあれこれ考える。やはり、海沿いにあった街はこれからも海と一緒暮らしたい町づくりをするだろう。何十メートルの堤防をつくるという津波との競争をするのではなく、喧嘩をしないで海との共存を考える。やはり、高台にしっかりと避難所をつくり、多機能な建築のあり方を考える。また、ハードとしての建築もそうだけど、情報伝達も含めてソフトのあり方が最も重要になってくるのではないかと思い至る。つまり、やはり家族という核を超えた地域社会のような、共同体のあり方を模索せねばならない。その鍵となるのは、それぞれが私的な自分と同じくらい公的な自分を意識してもつことで、共同体のあり方を広げることではないだろうか。そこには、他者への想像力、今は、まさに被災者(弱者)への想像力がすべてのエネルギー源であってほしい。

 深夜、『ランプコントロール』(大崎善生、中央公論新社、2010)を読み始める。久しぶりの小説を楽しみたい。

3月19日(土)
 朝、JR住吉駅まで行って「凱風館」の現場チェック。基礎スラブのコンクリートが綺麗に打設されていて、立ち上がり部分の型枠を手際よく職人さんが組み立てていた。ホールダウン金物やアンカーボルト、配管各種スリーブも確認。午後、打ち合わせ。カフェにてスケッチを進める。収納などについてあれこれスケッチ。

 夕方、梅田で本を物色、昨日お勧めされた大崎善生氏の小説などを購入。夜、大学時代の親友たち夫婦二組と食事。地震から福島原発について、また停電や買いだめなどの混乱について意見交換。可能な限り自分たちの仕事をできる範囲でしっかり家族の安全を優先することなどについて話す。

 大阪と東京ではこの度の大災害における受け止め方は大きく違うようだ。梅田の繁華街やデパートが大いに賑わっていたのは、とても良いことだが、東京在住者としては複雑な気持ちではある。

 深夜、奈良の実家に帰って、メールなどの雑務。倒れ込むように寝る。

3月18日(金)
 午前中、ゆっくり寝る。午後、メールなどの雑務。「凱風館」の打ち合わせ資料をチェックしながら、加子母村での打ち合わせも含めて頭を整理して、議事録を作成。展開図をブラッシュアップし、スケッチを進める。

 夜、阪神御影にて甲南麻雀連盟のメンバー6人でスピンオフ会に参加。実に愉快な会話が飛び交い、皆それぞれ旧来の友人だったかのような盛り上がり方。それぞれが内田先生という共通認識を共有しているので実に息が合う。とにかく面白いすべらない話、ためになる良い話、笑っちゃうバカな話まで実に濃厚な飲み会だった。

 深夜、そのまま四人で雀荘へ。これまた楽しく二半荘。三着とトップ。近所の次郎先生宅に泊めて頂く。建築の断熱工事の話から始まって内田先生との昔話を聞きながら次郎先生とウィスキーを飲み直す。こうした不思議な軸がたくさんある共同体を内田先生がしっかりと作ってくれていることを実感する。何よりそれぞれが共同体の一員であることに喜びと感謝の気持ちを持っているから居心地よい。今こそ、こうした地域共同体の作り方を真剣に考えねばならないだろう。

3月17日(木)
 朝、中島工務店の加藤さんと合流し、車で岐阜県加子母村へ向かう。途中の関ヶ原辺りでは大雪。中津川駅では金箱構造設計事務所の坂田さんと合流し、プレカット工場に到着。

 昼、中島社長と一緒に加子母村の名物料理、鶏ちゃんを頂く。四人で八人前ほどたらふく食す。まずは、京都美山町の杉の丸太の加工をチェック。乾燥炉から出て来た丸太に対して曲面カンナを使ってゆっくり表面を削っていく。外皮にリズムが生まれ、年輪が綺麗に見えてダイナミックな表情になっていく。続けて、他の杉材をチェック。大きく割れることもなく、含水率も下がっていた。水を含んでいた時と重さが全然違った。プレカットの打ち合わせも進める。レベルや取り合いを確認し、テラス・ガーデンや屋根のポイントを話し合う。五時間強、しっかりと打ち合わせ。

 夜、中津川駅まで坂田さんを送って、加藤さんと関西まで戻ってくる。車中、すっかり寝てしまう。プレカットされた木材を棟梁が現場で組んでいる夢を見る。深夜、帰宅しニュースを見るもやはり福島原発が気になってしかたがない。メールなどの雑務をし、風呂に入って寝る。混乱する東京を思い、帰京を取りやめて奈良の実家に残って仕事をすること決断。脆弱な都市機能に対して負荷をかけないことが間接的にでも被災者の受け入れなどに繋がると信じたい。しかし、この未曾有の大災害から立ち上がるのはかなりの長期戦になり、国が助け合う必要があるだろう。国際社会の協力も含めて。

3月16日(水)
 午前中、メールなどの雑務。昨日の打ち合わせの整理とやるべきポイントをリストアップ。昼、梅田で打ち合わせを一本。その後、インテリアショップGRAFに行く。素敵な小物や家具がたくさんあった。手持ちがなくて購入できなかったが、ジャック・マイヨールの海深100mまで潜った時間を時計にした砂時計がとても素敵だった。

 二階のカフェで友人と合流。あれこれお茶をしながら盛り上がり、残念ながら今月一杯で閉店してしまう武庫之荘『グロリア』にて食事をする。美味しいパスタとワインを頂く。夜は、クリティカルな状況になっている福島原発のニュースを祈るような気持ちで見入る。深夜、「凱風館」のスケッチを進める。

3月15日(火)
 朝、自転車で武庫之荘の駅に向かい、御影まで行く。歩いて「凱風館」の現場へ。九時半、構造計算をして頂いた金箱先生が到着。早速、背筋検査をして頂き、現場内をゆっくり見て歩く。十時、内田先生も到着。今まで図面と模型で打ち合わせをしてきたが、こうして現場が動き出すと、いよいよスケール感をはじめ、リアルな想像力が働く。道場の大きさ/広さを把握し、玄関周りの使い勝手について考える。収納における新しいアイディアを二つ提案する。金箱先生の背筋検査も無事終え、外壁の左官サンプルなどを持って中島工務店の神戸支店へ。

 午後、外壁からディテールまでみっちり打ち合わせ。床の柿渋の色味もチェック。細かいポイントも含めて四時間以上話し合う。三宮まで送ってもらい、奈良の実家に帰宅。テレビを見ながら、福島原発の事態の推移を身計るも、やはり帰京せずに可能な限りこっちで仕事することを調整したい。

3月14日(月)
 朝、都内でも計画停電がスタートとのことで、混乱を想定し、昼前の予約した新幹線を乗るのに二時間前に出る。家のコンセントは冷蔵庫以外外して出発。目黒駅で山手線に乗るのに早速改札から大行列。電車も超満員状態だが、品川までの数駅なのでどうってことない。我慢。今回の出張には模型がないので一安心。品川駅構内は、多くの電車が運休していたのでガラガラ。新幹線もチケット売り場、乗り場ともに混乱なく乗車。新神戸までスムーズに行く。

 車中、打ち合わせの準備とパソコンで原稿作業。車窓から見えるいつものごくありふれた田園風景や密集した日本の住宅街が全く違った風景に見えた。今、この未曾有の大惨事を受け、日本は結束している。実に健全にそれぞれがマインドをシフトして被災者を思い、家族を思い、自分たちにできることをやっている。オールジャパン。僕も仕事ができる環境なので、淡々と課された課題をしっかりと進めることが大事だと考えたい。直接できること、節電と募金はやった。救命/救助はできないので、少し落ち着いたら何か直接コミットできることがあればしたいという気持ちは強い。今は、形にならない思い/願い/祈りの力を信じたい。パニックしないで、冷静できることを心がけたい。

 昼過ぎ、新神戸に到着。待ち合わせまで喫茶店で一仕事して、中島工務店の加藤さんに迎えに来てもらい、早速住吉の「凱封館」現場に向かう。背筋工事が進められていた。規則正しく墨を出し、丁寧に背筋を組んでいた。スリーヴの位置や背筋の進み具合の説明を受ける。ホールダウンも設置されていた。いよいよ現場に建築のスケール感が立ち上がり、高揚感を覚える。これからの行程について話し合い、杉材の塗装サンプルをもらって西村珈琲店へ。打ち合わせの準備をし、夜、内田先生宅にて設計の打ち合わせ。

 資料を広げて打ち合わせする前に、地震の時の話になり、95年の震災の時の話をうかがう。たんすが飛んで来たことや3週間の避難生活などについて。ボランティアとして直接コミットできるのは、少し落ち着いてからでないと逆に混乱を招くとのこと。気を取り直して設計の打ち合わせ。道場の内部展開や床のデザインについて話し合い、柱についても方向性を決めていく。実際に床の柿渋や紅ガラの塗装サンプルを見ながら話し合う。夜、内田先生がトマトパスタを作って頂き、ワインを飲みながら二人で食事。神戸女学院の大学院での外部受講生を受け入れたことから始まった先生の周りの方々とのご縁について話をうかがったり、結婚論まで多岐に渡って話し込む。

 深夜、武庫之荘の山本画伯宅にて泊めてもらう。ここでもワインを飲みながら、運慶の彫刻の立体感や造形から話が始まって、画伯のアトリエにある作品について、またスペインのギターリストまで面白い話がたくさん聞けた。長い充実した一日が終わる。

3月13日(日)
 午前中、メールなどの雑務。今日もスタップと模型ヘルプの学生が通常通り来所。ラジオを聞きながら、時折テレビも付けての仕事。小さな余震は続く。福島原発も懸命の努力が実ることを切に願うばかり。

 「凱封館」の打ち合わせ準備を進める。展開図を整理して、床のデザインもまとめる。開口部の細かいディテールもチェックし、図面化作業。1/30模型はコツコツと窓枠を製作し、大きいだけでなく、細かい精度もつくりこまれていく。また完成が楽しみな模型が進められている。軸組模型の写真撮影とプレゼン資料づくり。夕方、打ち合わせ資料が完成。節電のせいか、街はいつもより暗く、出歩く人も少ない。生活における過剰な部分からスマートにしていくことは我々の生活を一旦省みる凄くいい機会と捉えたい。間接的なようで直接、被災者や救助の方々の助けになっていることもあるはず。残念ながら、僕はイギリスに住んでいたので、狂牛病の可能性のため献血はできないが、節電と募金はした。建築家としてもできることがあるはずと自問する。

 夜、初台まで自転車で行って、黒崎さんが手がけるリノベーション物件を案内してもらう。民家をローコストで新旧混ざり合う魅力的な空間に作り替えていた。その後、イタリアンを食べながら1000ドルハウスの打ち合わせ。こうした大惨事が起きてしまったからこそ、このプロジェクトの意味合いは大きくなる。しっかりと骨太な企画書をまとめていかねばならない。

 深夜、部屋と事務所の整理をし、スイス/ドイツ/中国/ノルウェーにいる友人たちから届くメールに対応。心配してくれる人がいることの大きさを身にしみて実感。一人じゃないんだ。「Our deepest thought are always with you and your loved ones」という文章に込められた気持ちがエネルギーになる。しっかりと自分にできることを淡々とやるだけだ。オールジャパンで頑張ろう。

3月12日(土)
 やはりあまり寝られなかった。十時、スタッフと学生が自転車で出社。「凱風館」の構造模型がいよいよハンダで完成に向かう。よく頑張ってくれた。道場を大断面集成材で支えていることや屋根の丸太と大黒柱の関係が明確に表現された。床のデザインと内部展開を進める。細かい窓枠の納まりについても検討を続ける。夕方、少し早めに上がる。

 夜、食事をしに外出するも多くの店が閉まっていた。節電のための措置だと想像するが、パチンコ屋は煌々と電気がついていた。営業することはいいだろうけど、こういう時こそ電気を半分消すとか何かしてほしいものだ。帰宅し、テレビ映像を見るとその地獄絵図に気が滅入るので、頭を地震から紛らわすために映画鑑賞。

 『不完全なふたり』(監督:諏訪敦彦、2005)のDVDを観る。先日観た『ユキとニナ』が気になったので借りていたが、こっちは離婚間際の夫婦の心境を丁寧に描いている。それぞれの思惑とすれ違い。鏡を多用した絶妙なカメラワークでパリがよりパリっぽく映し出されていた。

 しかし、一日中地震や福島原発のことが頭を離れず、とにかくライフラインに負荷のかからない生活をして、被災者への救助がプロによって速やかに進むことを願うばかり。小さな余震は尚続くも、パニックしないことに気をつけたい。

3月11日(金)
 ご飯を食べて、電車に乗って、仕事する。そんな平凡な日常が毎日続くことが当たり前でないということを思い知らされた一日となった。朝、河野工場長が来所して、みっちり打ちあわせ。美容サロンの内装工事について、デザインの軸を変えないで、予算内に収める方法を考えて話し合う。

 昼、大学時代の同級生が来所。久方ぶりの再会で事務所で近況報告もほどほどに遅めのランチをして、地下鉄にて東大へ。内藤廣先生の最終講義を聴きに行く予定だった。一般席の整理券をもらい、友人とスターバックスでお茶していたら揺れ出した。脳裏にクライストチャーチの映像が浮かび、すぐに建物内を飛び出すも揺れは収まらない。それどころかイチョウのある広場に出るも地面が波打ち、大きく平衡感覚を失わせる。さっきまでいた建物もミシミシとガラスの窓が動いてるではないか。とにかく広場で最終講義をやるかやらないかを待っていたら、中止との発表を受ける。内藤先生が挨拶だけしに登場。聴衆がイチョウの木を囲って三分間の短いスピーチ。内藤先生は「社会基盤」という言葉を使われて、東北の人たちのことを思って、それぞれ家に帰ろうと呼びかけた。つねに大きな枠組みで建築を捉える内藤さんらしい挨拶だった。

 最終講義に来ようとしていた友人のまた友人が東京駅で足止めされているとのことだったので、とにかく東京駅までは東大本郷から歩くことにする。その内に電車もまた再開するだろうと甘い考えを持っていたら、さながら民族大移動。東京の街は異様な光景になっていたが、決してパニックすることなく(小さな小競り合いは目撃したが)黙々とそれぞれの家路に向かって歩いていた。これほど歩道を埋め尽くすような人だかりを東京でみたことがない。ケータイは不通、しかしツイッターだけは正常。安否確認や地震・津波情報がTLを埋め尽くす。途中、電気屋で津波のテレビ映像を見た時にことの重大さを知り、絶句する。東京駅で友人の友人ともツイッターのおかげで合流。三人とも五反田周辺に住んでいるということと、「電車終日運休」という情報を得て、家まで歩くことを決意。

 どこもかしこも渋谷のスクランブル交差点状態になり、危機的状況を頭で認識するも自分の無力さに脱力。無料になっていた公衆電話で両親にも電話し、安否を伝える。そして、四時過ぎに東大を出た僕らは九時前に五反田到着。安堵して食事を取る。近所の二人を家まで送って、深夜帰宅。自宅/事務所は無害だった。机の上の本やファイルが若干倒れたくらいで、壁一面の本棚も事務所中にある模型も無傷だった。フェイスブックでもドイツ/ギリシャ/イタリア/デンマーク/スウェーデン/ポルトガルの友人らから続々と心配しているとの連絡あり。海外でも「東日本大地震」として大きく取り上げられているようだ。帰宅してテレビの前で声を失う。自然の力の前では、都市基盤が薄氷の上を歩いているようなものだと自覚する。建築家としても何が出来るのか、何が大切なのかという本質を考えさせられた衝撃的な一日となった。余震も続き、気が気でないまま就寝。とにかくこれ以上被害が広がらないこと、一日も早い東北の回復を心より願いたい。また被災者の方々を心よりお見舞い申し上げます。我々はまず、使っていないコンセントを抜くなど小さなことでも自分にできることをやっていきたい。

 今日という日は多くのことを教えてくれることとなったが、その一つは危機状態を想定した、すぐに集まれる地域共同体みたいなものをつくらねばならないと思った。95年の阪神大震災から学ぶべき教訓や反省点をしっかりと踏まえて、天災に備えたい。何ができるかじっくり考えていかねばならない。

3月10日(木)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。美容サロンの打ち合わせのフィードバックを早速微調整。明日の河野工場長との打ち合わせの準備を進める。

 午後、「凱風館」の平面詳細図をチェック。細かい変更点を修正し、床のデザインをスケッチする。コンセプトを表現するベストな方法を検討。1/30模型も着々と進み、道場部分がついに完成。空間のプロポーションを確認し、見ているだけで盛り上がってくる。展開図にもあれこれ赤を入れて、微調整を進める。

 夜、友人に誘われて代官山でライブを聴く。まだ、仕事が残っているのでキューバ・リバーを一杯飲みながらバイオリンのあるラテン音楽を堪能し、ファーストステージで会場を後にする。しかし、とっても素敵な息抜きになった。また学生時代の時にアアルトの建築を求めてフィンランドを旅した時に出会って、一緒にキャンプなどしてお世話になったカメラマンの根津修平さんと再会。

 事務所に戻って、平面詳細の再度チェックし、アイデアを絞り出す。深夜、原稿を書く。進行しているプロジェクトについて言語化作業の大切さを実感する。気がつけば三時を回っていた。原稿用紙六枚分。しかし、建築もつねに未完というか、変化し続けるのが魅力的なように文章も書いてる尻から読み返すとまた書き換えたくなるので困ったもんだ。わずかな時間とはいえ、書いてるときの自分と読んでるときの自分ってもう違う人間になっている。

3月9日(水)
 午前中、メールなどの雑務。美容サロンのクライアントであるオーナー美容師が来所。新しい図面を見ながら見積り調整におけるデザインの優先順位についてあれこれ話し合う。天井伏図を見ながら照明の打ち合わせ。ロゴデザインも見てもらう。最後に予算と工期について。いよいよネクスト・ステージ突入。

 午後、池袋の東京芸術劇場へ。念願だった野田地図第16回公演『南へ』(作・演出:野田秀樹)を観る。野田さんのインパクトある芝居もプレーイングマネージャとしての存在感があり、芝居のテンポをつくっていた。大人数のアンサンブルをうまく利用して、演劇ならではの「いま/ここ」性を強く感じた。何より、蒼井優の身体の使い方には見張るものがあった。声も感情移入する表情も映画同様素晴らしかったが、跳ねる様な身体の動きはさながらダンスのように美しかった。オーバー・アクションや不自然な動きが一切ない。この無駄も無理もない動きが役者の生命線であり、他の俳優さんとの間もこの「動き」によって左右するところは大きい。内容もウィットに富んだ面白いものだった。良いものを見せてもらった。二ヶ月も公演してるのにこれだけ人気があってチケット入手が困難なのも分かる。しかし、役者さんの体力と喉の凄さに驚嘆する。

 久しぶりに来た池袋、サンシャインの方まで散歩がてら行って模型材料を調達して帰宅。「凱風館」の打ち合わせ資料を整理して、来週の出張までの項目をリストアップ。ホームページのアーカイビング作業。午前中の美容サロンの打ち合わせのレビューも進める。

 夜、恵比寿のインフュージョンデザインのオフィスで1000ドルハウスの打ち合わせ。ブレストを含め、プロジェクトの骨格と運営方法についてあれこれ話し合う。一緒にやる人たちの温度差がなく、気持ちいい肌合いでそれぞれのプロと仕事することが何よりやっていて楽しくやりがいがあるからしっかり頑張りたい。

 深夜、たまったデスクワーク。整理しても整理しても広い机は狭いまま。「凱風館」のプロセスの言語化作業を進める。原稿を書くリズムをしっかりつくりたい。BGMは、レディオヘッドの新譜。

3月8日(火)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。「凱風館」の構造模型と1/30模型のオペレーション。少しずつ、しかし、確実に模型が完成に向かっていく。軸組が立ち上がって、上棟式の風景を想像する。

 午後、美容サロンの図面と見積りのチェック。デザイン・コンセプトを変えないでポイント整理しながら図面を微調整。午後は、「凱風館」の展開図をチェックしながら内部空間にイメージを膨らませる。

 夕方、新宿OZONEへ。シリーズセミナー「現代の住宅設計に求められる視点」の「構造」をテーマに遠藤政樹×佐藤淳×難波和彦の話を聴く。コーディネーターの門脇耕三さんの解説も入りとても面白かった。遠藤さんのミース/イームズ/プルーヴェという巨匠たちからの影響について話しはじめる。視角化された構造(ミース)からストックとしてフラットになった構造(イームズ)そして必要な物は作ればいいという生産(プルーヴェ)の歴史的な話を踏まえて自作を語り、佐藤さんは自身の仕事を紹介しながら「柔らかい構造」と建築家との協同におけるスタンス、「一歩引いたところからプロジェクトを見る」という内容が強く印象に残る。最後に難波先生が70年代のハイテック・スタイルから2001年の仙台メディアテークにおける構造の変化が軽い抽象性を目指すも物質性の強度が表に出て、これからは微細なコンストラクションになっていくだろうと述べる。つまり、この半世紀の中で「合理性の意味合い」に変化が見られて、そこにはさまざまな統合が必要になってくることを指摘。動物化すること(東)と日本特有のスノビズム(コジェーヴ)までもを取り出して、建築家が設計するに当たっていかにファクターを減らしていくことの可能性について語られた。そこにアレクザンダーの理論も入ってくる。頭の中を整理するのにとっても有意義なセミナーであった。

 その後、懇親会で難波先生らと挨拶し、門脇さんや遠藤さん、佐藤さんらと焼き鳥を食べながら建築談義に華が咲く。佐藤さんの「柔らかい構造」という言葉が頭に残り、いつか一緒に仕事をしてみたいと強く思った。頑張らねば。

 深夜、美容サロンのロゴデザインを進めて考えて、明日の打ち合わせの準備をする。『希望とは自分が変わること』を読みながら就寝。

3月7日(月)
 コートを着たら汗ばむ春模様から又一転して雪。午前中、メールなどの雑務と電話対応。昼、確定申告の作業を終えて、雪も上がったので品川税務署へ。確定申告を提出し、平成22年度の所得税を納税する。領収書の山との格闘も終え、肩の荷が下りた。

 午後、「凱風館」の展開図を整理していく。内部空間のイメージを明確にしていく。夕方、プレカット関係の図面チェック。夜、編集をやっている友人と食事しながらあれこれ話し合う。雑誌をつくることの構造について教えてもらい、ウェブに対するリテラシーも高いのでツイッターや2チャンについてこれからの展開についての見解を聞く。

 深夜、「凱風館」のコンセプト・ドローイングについて考えてスケッチを進める。こうして頭を自由にして設計に取りかかる必要性を感じる。寝る前に『希望とは自分が変わること』を読み進める。養老先生の文章がコロキアルであることが言葉の説得力や距離感をグンと近くしているようで面白い。

3月6日(日)
 午前中『批評と理論』(磯崎新+鈴木博之+石山修武、INAX出版、2005)を拾い読み。昼、界工作舎へ。LAT's第六回『建築における「日本的なもの」』に参加。磯崎新氏の考える建築における「日本的なもの」についての発表を聞き、磯崎さんの仕事との関係から読み解くことと丸山真男の『日本の思想』との比較検討から作為と自然の考え方から現代の建築家のマインドを読み解く議論に発展する。しかし、やはり我々にとって「日本的なもの」が実は無意識の中に潜在しボーダーをなくして、時間も超えてモダニズム建築と変わらず参照できるものになっている感覚に気づかされる。

 夕方、模型材料の買い出しを済ませて兄貴宅へ。甥っ子の五歳の誕生会。可愛らしい笑顔で新幹線のプラレールを喜んでくれた。妹に対して兄としての自覚が既に芽生えていて見ていて微笑ましい。たくさん元気をもらう。

 夜、帰宅してメールなどの雑務。続けて経理関係の書類をエクセルに打ち込んで、いよいよ確定申告の作業も終わりがやっと見えてきた。1000ドルハウスについてあれこれ考える。

3月5日(土)
 午前中、メールなどの雑務。天気も良く、部屋の掃除と洗濯を済ませる。午後、「凱風館」の打ち合わせ事項を整理する。展開図に赤を入れて、図面チェックを続ける。夕方、友人に頼まれた翻訳の仕事を進める。スケッチをしたりするのとは、全く違う脳を使うのが分かって、楽しい作業。

 夜、友人のサプライズ誕生日会に参加。ドローイングを依頼してもらってからの長い付き合いだが、いつになく元気そうでワイワイ楽しく盛り上がる。彼も30歳になり、これからも一緒に頑張っていきたい大切な仲間。

 深夜『悪人』(監督:李明日、2010)のDVDを見る。実に面白かった。物語のテンポも良く、深津絵里と妻夫木聡の演技がリアリティーをもって迫ってきた。キャスティングがうまく行けば映画は半分以上決まった様なもの。現代社会における、人と繋がりたい、という欲求に対するドラマ。善人/悪人というのは、白/黒というものでなく、見る角度や立ってる位置の前提によってどちらにも見えるということを思い知る。村上春樹の『アンダーグラウンド』の長いあとがきを思い出す。

3月4日(金)
 朝、六時起床、外はシンシンと雪。健康ランドの天然温泉に入る。大変広い風呂を独り占め、幾つかの風呂に入り分けていたらすっかりのぼせてしまう。しかし、雪の降る中の露天風呂は最高だった。

 バスに乗り込んで一行は、村野藤吾設計の宝塚ゴルフクラブへ。実に巧妙な素材の配置と造形の強弱にしっとりとした時間の積層を感じる。窓や手すり、階段が印象に残る。続けて大阪まで行って、村野藤吾が担当者だった渡辺節設計の綿業会館を見学。部屋ごとに様式を使い分けるという実に多彩な建築でやはりセラミックタイルやちょっとした金物など素材の使い方や装飾性の配置に見入る。やはり天井の高い空間のもつシークエンスが圧倒的な三階談話室が一番印象的。

 昼は、藤原さんらとバスツアーから抜け出して、第三ビルの地下で美味しいうどんを食して新幹線で一足先に帰京。車中、「凱風館」の打ち合わせの復習と議事録作成などの仕事に集中してたら、せっかくの左サイドの窓側席だったのに富士山を見逃してしまった。

 夕方、事務所に戻ってメールなどの雑務とデスクワーク。幾つかの電話対応に追われていたらすっかり夜。美容サロンも不動産契約における諸問題もクリアになり、いよいよ見積りのVE案を進めるべくデザインの微調整を考える。

 夜、『建築における「日本的なもの」』(磯崎新、新潮社、2003)の再読を進める。昨日観た浄土寺浄土堂についての文章も当然ながらスムーズに頭に入ってくる。しかし、今回ドリフターズ企画のバスツアーに参加することが出来て本当に大収穫。播州における街の抱える問題はきっと現代における地方の問題として大事な提起をしてくれているように感じた。建築やテキスタイルという分野に捕らわれずに良質のクリエーションとは何かを考えていきたい。

3月3日(木)
 朝、六時起床、外は薄暗い。電車を乗り継いで小野駅へ。車窓からはのどかな風景が続き、久しぶりの旅気分に胸を膨らませる。タクシーで九時前に浄土寺浄土堂に到着したら、大きなバスが同じく到着。藤原さんと挨拶し、バスツアーに合流。

 重源による浄土寺浄土堂(1195年建立)はやはり圧巻。外部は、軒が一切の反りもなく見事に直線であったことに驚いた。それにより屋根の形がより幾何学的でプリミティブな印象を与えていた。すぐに浄土堂の東立面をスケッチ。内部に入るとそこに露出する構造体の存在感に息をのむ。荒々しい縦に伸びる空間と装飾的で繊細な三体の阿弥陀立像のコントラストがつくる緊張感。それに西の格子窓から入る光が美しかった。朝の東の光に対して間接光ではあるが実に内部に柔らかい空間を作り出していた。

 それから播州織り物の工場見学。機械化された工業ラインにおける織りの工程と染色の工程などを見る。40人ほどのメンバーで見学。学生たちが多く、テキスタイルと建築の学生でカメラの向ける場所が違うことが面白かった。ギンガムチェック生地が生まれる瞬間に見入るテキスタイルの学生さんと工場のトラスやトップライトを写真に収める建築の学生さんたち。

 午後は、オランダから来日しているテキスタイル・デザイナー、ペトラ・ブレーゼさんのレクチャー。シアトルの図書館やポルトガルの音楽ホール、ベンツのミュージアムなど彼女の作品を実際に沢山観てきたが、ご本人の言葉は一番強度をもって迫ってくる。何より自身の会社に「INSIDE/OUTSIDE」という名前を付けているように、凄く自由なスタンスで仕事に取り組んでいることに驚く。カーテンとガーデンをデザインすることで既存のカーテンやガーデンの社会的役割を解放していくという。魅力的なデザイナーであると同時に空間の境界線を揺すぶってくることが強く伝わって来た。テキスタイルとランドスケープがもち得る強度が彼女自身の感覚の自由さからくるため、もはや職業としての肩書きなど何の意味ももたない様な印象を受ける。つまり、彼女はレム・コールハースをはじめ一流の建築家と一緒に仕事しているが、きっとそれはテキスタイル・デザインを任せられてのコラボレーションでなく、全くフラットに空間と立ち向かうことで成り立っている創造的な共同作業だと感じた。

 夕方、日本のへそ駅という場所にあるポストモダン色の強い時代の磯崎新氏設計の西脇岡之山美術館を見学し、続けて播州織工房館や旧来住邸を見学したりして時間を過ごす。

 夜は、西脇健康ランドにチェックイン。焼き鳥を食して、藤原徹平さんと安東陽子さんを交えた座談会で盛り上がる。参加者みんなでペトラさんのレクチャーの感想から始まった建築におけるテキスタイルの可能性について二時間ばかりディスカッション。皆がみんな健康ランドのアロハシャツを来ていて不思議な一体感。深夜、安東さんらと場所を移動してお酒を飲みながら建築談義に華が咲く。

3月2日(水)
 午前中、井上左官職と漆喰や洗い出しのサンプルを観ながらの打ち合わせ。濃厚な時間はあっという間に進み、昼過ぎまでああでもないこうでもないと盛り上がる。パソコンの画面からプリントアウトした紙の上の色と線に比べて実際の土の表情は当然のことだが圧倒的にその質感/色味において迫ってくる。事務所を出て、外にサンプルを持っていくとこれまた実に豊かな表情を出す。
実に楽しみな気持ちになる。

 午後は、設備関係の打ち合わせと屋根や床まわりのディテールの話しを進めて、夕方は現場へ。地盤改良のチェック。現場には計画通り50本近くの穴が掘られて二メートルの深さまでコンクリートミルクが入っていた。説明を受け、現場を見て歩く。天候が悪くて少し工期が遅れている以外は問題無し。

 夕方、武庫之荘にあるイタリアン『グローリア』で内田先生夫妻と設計の打ち合わせ。左官のサンプルを見ながら、外壁について話し合う。打ち合わせを終え、山本浩二画伯が合流し、四人で食事。画伯の一年の快気祝い。実に美味しい料理とワインを頂きながら、四方八方に話が盛り上がった。しかし、最後に内田先生から建物の名前を決めたとの話があり、「内田邸/道場」改め『凱風館(がいふうかん)』という建築の名称が決まった。初めて聞いたとは思えない、実にしっくりとくる名前に大いに興奮する。

 深夜、山本画伯宅に泊めてもらい、画集を眺めながら俵屋宗達の話から盛り上がって色々と新しいアイデアを発見する。今日という一日はこれまた本当に濃厚で素晴らしい時間であった。

3月1日(火)
 朝一の新幹線で名古屋に向かう。そこで中島工務店の加藤さんと合流して、車で岐阜県加子母村に向かう。天気は雨だが、檜と杉の林が連なる自然豊かな風景に心が和み眠気も覚める。

 昼前、加子母村にて社長さんとご挨拶。早速、中島社長に加子母村に点在する中島工務店の仕事場をいろいろ案内してもらう。加工場、木の市場、工場などなど。途中、樹齢1000年以上の杉の名木を見させてもらう。続けて施行例として安藤忠雄氏設計の「加子母村ふれあいコミュニティーセンター」を見学し、続けて加子母小学校も見回る。半円形の中庭を囲んだ綺麗な瓦の載った小学校。すれ違う小学生がみな丁寧に挨拶してくれたのも印象的。校長先生とも挨拶し、「釘隠し」や「じゃんじゃん」という民族学的歴史の面白い話を伺う。それにしても中島社長は加子母村の人をみんな知っているようだ。地域の共同体や活性化という言葉では表しきれない関係性があるようだ。

 夕方、プレカット工場に戻って、京都美山町より届いたばかりの杉材をチェック。含水率を計り、丸太の加工についてあれこれ打ち合わせ。その場で表情の見せ方についてサンプルの丸太をそぎ落とす。続けて、プレカットの打ち合わせ。屋根の架かり方や床レベルの確認、柱梁の取り合いについて方向性を確認。最後に今後の進め方、スケジュールを調整。

 夜な夜な神戸まで帰ってくる。帰りの車はほとんど寝てしまう。深夜、中島工務店神戸支店に到着し、二階の宿泊施設を利用させてもらい、ぐっすり寝る。

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