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『EVERYDAY NOTES』

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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2011 april

 

4月30日(土)
 午前中、メールなどの雑務と事務所の掃除。昼、トロントでの中学時代からの友人夫妻が可愛い愛娘を連れて来所。お互いに近況報告をする。彼らが新しく買った建て売りの家についての相談と現場見学。

 午後、あれこれデスクワーク。「凱風館」の展開図をチェックして来週の打ち合わせの準備。ルドフスキーの『驚異の工匠たち』を読み終える。明日のLAT'sは、時間的に少ししか参加できないが楽しみたい。

 夜、目黒川沿いをランニング。半年後の大阪マラソンへ向けての練習をスタート。あまりにもギャップが開いているのでフルマラソンが走れる身体づくりを頑張らねば。

 深夜、銅版画の手彩色を引き続き進めて完成。赤いエネルギッシュな作品に仕上がった。昨日、購入して頂いたタワーのある風景のものと二枚の額装を準備しよう。その後、「凱風館」の原稿を少し進める。今日で4月が終わる。実に濃厚な一ヶ月であった。

4月29日(金)
 午前中、メールなど雑務ともろもろの電話対応。昼、上野で工事が進んでいる美容サロンの現場へ。コールテン鋼のエントランスの壁が設置された。鉄板の強度を確保するための錆びがこれまたいい表情を出していて空間の門、エッジとして機能していることを確認する。内部は、白く明るい空間をつくろうとしているのでコントラストはうまくいきそうだ。
河野工場長もしっかりと現場を進めてくれていてワクワクする。

 午後、事務所に戻って「凱風館」のディテール関係と展開図のチェック。建具のスケッチも進める。それからデスクワークも消化していく。やっと机の面積が広くなってきた。夜、阿佐ヶ谷にて友人と四月の合同誕生会。知り合って決して長い友人ではないが、実に多くをシンクロし、今夜も色々と素敵な方々が集まり楽しく、美味しい宴だった。主催者以外はみな初対面だけど一切そう思えないところが不思議。何だかもはや「類は友を呼ぶ」と言うことでは説明不可。しかし、こうしたご縁を大切にして日々邁進したい。ポートフォリオを持参したら、銅版画を購入してもらった。ウングラウブリッヒ。

 深夜、先日売れた銅版画への着色作業。リクエストは赤。なので、銅版画に赤を五種類ほど使って彩色をしていく。元気の出るようなエネルギーを紙の上に封じ込めたい。世の中はGWということで、少しばかり浮かれた心地いい空気が流れていた一日。四月もあと一日か。

4月28日(木)
 午前中、メールなどの雑務。昼から日本大学船橋校へ。ベーシック建築デザインの授業。今日は平面/立面の考え方を説明し、早速立体の平面/立面から描いていって三次元で考えることのトレーニング。みな、真剣に良く集中して図面を描いていた。後半はアクソメとアイソメの練習。最後はGWの宿題の説明。たくさんやることあるだろうけど、頑張ってもらいたい。

 深夜、諸々のデスクワーク。「凱風館」の建具のスケッチを進める。上棟式を終え、いよいよ空間のボリュームが体感できるようになったので内部の仕上げのイメージを明確に想像して決定していきたい。

4月27日(水)
 午前中、メールなどの雑務と「凱風館」の建具のスケッチを進める。昼、お世話になっているMさんが来所。東北で立ち上げようとしているプロジェクトなどの相談。続けてパナソニックの担当者たちが来所。「凱風館」の照明について打ち合わせ。

 夕方、青山のギャラリー、ときの忘れものへ。オーナーの綿貫さんのお声掛けで「東北のお酒とお菓子を楽しむ会」に参加。青森、宮城、岩手、福島と綿貫さんの大切なお客さんたちが被災地から特産物を送ってもらい、ワイワイ楽しく頂く会。とっても素敵な試みで、大いに楽しませてもらった。多くの方々の挨拶もあり、それぞれの人たちの思いが伝わってくる。

 夜、「凱風館」の工程表を確認しながらあれこれ準備。また、原稿を再構成していく。深夜のこの時間をライティングに当てるようにしている。

4月26日(火)
 午前中、メールなどの雑務。教育関係に携わっている小川さんが来所。これから立ち上げる教育プログラムについて意見交換。キーワードは、「現代を生き抜く力」。面白いクラスターがまたできそうで楽しみ。

 昼、「凱風館」の天井伏図を確認し、照明についてあれこれ考える。換気口のデザインについてもスケッチ。図面チェックを繰り返す。美容サロンのロゴのデザインを決定し、看板プレートの制作準備。色々と電話対応が続く。あっという間に夜になっていた。

 「凱風館」の原稿を再度練り直して、第一陣をイメージデータと共に送信。言語化作業は引き続き進めたい。佐々木中『足ふみ留めて』を拾い読み。村上春樹論に驚愕するも、なるほど「文学的な間違い」を指摘するその核心が興味深い。『BOOK3』が出る前に書いた文章。

4月25日(月)
 午前中、メールなどの雑務を済ませて、新幹線に乗る。今月だけで五回目の東京/神戸の往復を終えて無事帰京。車中、「凱風館」の原稿に赤を入れる。内田先生より連絡があり、痛めた足が骨折だったとのことで、明日からの加子母村行きがキャンセルに。すぐに中島工務店などへの電話対応。

 午後、今週のスケジュール調整。明日、明後日の空いた時間に保留していた三つの打ち合わせをセッティング。桑沢の講義の準備を終えて、夕方桑沢デザイン研究所へ。「デザイン論」第三講は、イタリア。ヴェネチアから話しを始めて、パラーディオとスカルパを取り上げる。水の都に於けるヴィスタをいかした町づくりとパースペクティブを利用したダイナミックなシークエンスについて。水と建物の関係も話し、ゴンドラ乗りのオールをひっかける「フォルコラ」について熱く語る。後半は、ヴェローナとシエナ、サンジミニアーノを経て、ローマについて。いささか時間切れになり、ローマは駆け足に。ピラネージの版画を紹介し、続けて直径43mの球体を内包したパンテオンを紹介する。最後はベルニーニとボッロミーニを取り上げて、バロックの建築を楕円をいう要素から説明。十分延長して講義を終える。感想文を読むとやはり、フォルコラとスカルパに感心した学生が多かった。また、パラーディオのテアトロ・オリンピコも反応が良かった。

 夜、メールなどの雑務とデスクワーク。「凱風館」の原稿を書き進める。企画書の翻訳作業も進める。両方とも明日中に目処をつけたい。しかし、あと一週間で四月も終わる。激動の日々は続くがしっかりと出来ることをやっていきたい。

 深夜、大阪マラソンエントリー当選のメールが届く。東京マラソンに三年連続抽選で外れてきたが、ついに走れる。ベルリンマラソンを二度(06、07)走り、河口湖マラソン(09)以来、四度目のフルマラソンになる。いよいよ重くなった身体を絞る時がきた。半年後の大阪でサブフォーを目指したい。

4月24日(日)
 朝、気持ちよく晴れた日曜日。いつものように阪神電車に揺られて御影へ。「凱風館」にて中島工務店のお客様を対象にした寺子屋にて現場を案内。それから西村珈琲にて設計の打ち合わせ。屋根の納まりについて樋や軒のデザインをしっかり確認していく。いよいよ仕上げの細かい部分をチェックしていく。

 午後、甲南麻雀定例会。山本画伯の還暦祝いを兼ねて、みんなそれぞれ「赤いモノ」をプレゼント。我々若手会員も赤と黒のスカーフをプレゼント。美味しいタケノコや中トロも食べながら、お酒も進む。麻雀は、いきなり内田先生に国士無双を振り込んでしまう。だって「東」は場に二枚切れていて、自分の手牌の中に二枚。リーチのかかってる内田先生に下りたつもりが、ロンだった。しかし、いつになく笑顔溢れる楽しい麻雀だった。結果は三戦一勝。ジャラジャラ。帰りの電車も『驚異の工匠たち』を読み進める。

 深夜、帰宅して企画書の翻訳作業を進める。また「凱風館」の原稿に赤を入れていく。具体的に読者を想定して書き直していく。残りは明日の新幹線でやろう。明日にはまた東京。旅人生活は続く。ふう。

4月23日(土)
 午前中、メールなどの雑務。「凱風館」の現場レポートをまとめ上げる。明日の準備も進めて、新幹線で奈良へ。
車中『橋本治と内田樹』(橋本治・内田樹、筑摩書房、2008)を再読する。橋本氏の「「あんたが書いたものを読むと、絵が見える」っていうことが言われたかっただけなんですよ。」という部分が印象的。小説家は物語を通して絵を見せて、建築家は絵を見せて物語を感じさせるといったところか。

 夜、手紙を一通書く。『めし』(監督:成瀬巳喜男、1951)を観る。小津監督以外で原節子さんを観るのは初めて。上原謙氏との夫婦役も絶妙。昭和の台所を中心としたライフスタイルが何か日本人の本質的な部分を映し出しているようで面白かった。白黒であるということも映像の情報を絞っていて効果的。しかし、寺田ヒロオの『もうれつ先生』を読んだ時も感じたことだが、半世紀以上も前のクリエーションに深く共感するこの感覚はなんなんだろうか。良いものは良いってことか。

 深夜、家具のアイデアが浮かび、スケッチをする。その後、『驚異の工匠たち』(バーナード・ルドフスキー、鹿島出版会、1981)を読み進める。

4月22日(金)
 午前中、メールなどの雑務。昼から「凱風館」の展開図チェックとこれからの進め方の検討。プレゼンテーション資料の準備。それからホームページのアーカイビング作業。デスクワークが続く。あっという間に夜になっていた。

 夜、美容サロンの細かいチェック。「凱風館」の建て方時の現場レポート資料をつくり始める。六日間で建築の構造体が立派に立ち上がった。深夜、来週以降の動きをまた整理して、桑沢の講義の準備も進める。友人たちからの飲みの誘いを断り続ける不義理が続いている。ごめんなさい。

4月21日(木)
 午前中、メールなどの雑務とあれこれ電話対応。昼、日本大学短期大学部へ。少し早めに行って、健康診断を受けてから、授業へ。ベーシック建築デザインの授業で製図を指導。製図板、T定規、三角定規、コンパスを使って基本図面を描くことを指導。補助線を薄く引いて、その上をピシャっと濃い線で引く。線を二等分や五等分する方法などを練習していく。基本中の基本だから学生たちにはしっかりと道具を理解して、製図を楽しんでほしい。

 夕方、国際文化会館へ。『第三回伊丹十三賞』贈呈式並びに祝賀パーティーに参加。内田樹先生の受賞スピーチを聴き、伊丹十三記念館館長の宮本信子さんの乾杯の挨拶で華やかな宴が始まる。選考員の周防正行さんや中村好文さん、平松洋子さん、南申坊さんと挨拶する。館長の宮本信子さんもスクリーンそのままの美しさでお話しでき、笑顔がとっても印象的だった。第一回の受賞者である糸井重里さんにも内田先生に紹介して頂き、お話しする。二次会は、六本木のレストランに移動し、関川夏央さんの素敵なスピーチで乾杯。編集者の方々が多く、みなさんと話していると、思えば当然だが、僕が読んできた内田先生の本の担当者が勢揃いであることを知る。三次会は、鉄板焼き屋にて甲野善紀先生の話しをたくさん伺う。実に心温まる素敵な時間を過ごす。こうした内田先生によって生まれたご縁を大切に日々精進していきたい。

 深夜、メールで吉報が届き、これまたわくわくする展開になりそうで楽しみ。

4月20日(水)
 朝、早起きして近鉄電車に揺られて「凱風館」へ。人生初めての上棟式。内田樹先生夫妻も登場。中島工務店の神戸支店長、鷲見さんの司会で始まる。内容は、祭壇礼拝/曳綱之儀/鎚打之儀/四方固めの儀/散銭、散餅というもの。足袋とはっぴにヘルメットを身につけて、「検知役」という工匠のメンバーとして式にフル参加。開口一番、「検知役、光嶋ノ裕介」と呼ばれて、「オー」と威勢良く返事をしてスタート。入念な練習もあって、岩木棟梁の指揮のもと、終始うまくいった。最後は、二階の南面ガーデンテラスへ。まずは、四方固めの「角餅」を投げて、山本画伯にキャッチしてもらった。続けて餅と賽銭を撒く。道行く人にも拾ってもらい盛大な上棟式が幕を閉じる。

 「凱風館」に関わる構造の金箱先生、老松を描いてもらう山本画伯、淡路の瓦を提供してもらう山田脩二さん、テキスタイルデザイナーの安東陽子さん、連載をしてもらっている芸術新潮の前田さん、書籍化を進めているアルテスの鈴木さんら一同に揃う。また合気会や麻雀連盟の方々も見えて、何よりこれだけ多くの方々とこの建築の節目を共有できたことを何より嬉しく思う。とにかくみなさんの笑顔、思いをしっかりと「凱風館」の中に宿るべく精進していきたい。

 昼は、直来。設計者として挨拶。「建築家は指揮者であると思う。そして、この「凱封館」において、お施主さんとしての内田先生の思い、美山町の小林直人さんの育てた杉のこと、岩木棟梁の作り手のこと、加子母の山のこと、山田脩二さんの瓦や井上左官職の土のこと。こうしたさまざまな物語をしっかりと汲み取って最高のオーケストラによる鮮やかな音楽が奏でられるような建築をつくりたい」との話しをする。続けて内田先生の挨拶。そして、山本画伯の音頭によりお神酒で乾杯。がらんどうの道場空間で実に楽しい食事をみなさんと食す。

 それから興奮冷めやらぬ思いを胸に新幹線で帰京。車中、安東さんと早速「凱風館」のカーテンや「間仕切りプロジェクト」についてあれこれ話していたらあっという間に東京だった。上野の美容サロンの現場へ。河野工場長をはじめ、大工さんが仕事を進めていた。早速、細かいポイントをチェックし、決断。新しいアイディアをその場でスケッチして指示。これまたイメージしていた空間が実際に立ち上がっていくのを確認しながらわくわくする。

 夜、帰宅して明日の準備をほどほどに寝る。今日という一日をきっと忘れないだろう。何より感謝の気持ちをもって、引き続き精進して頑張っていきたい。

4月19日(火)
 朝、一睡もしないであれこれ準備して始発の新幹線で「凱風館」の現場へ。建て方六日目。曇り時々雨というあいにくの天気。屋根の垂木を仕上げていく。スケルトンの状態になり、道場空間に直射日光が差し込む。これは、本当に今だけの風景。上を覗けば青空が見えた。

 昼、現場に合板が届き、早速屋根を閉じていく。中島工務店の現場監督チームが応援に駆けつけて、総勢11人で屋根の上での作業が続く。予報通り、三時半から雨が降り始め、ギリギリの調整が続き、屋根を架けてブルーシートで「凱風館」を覆う。本当に棟梁を中心にした素晴らしいチームがここまで建前をやりきってくれている。最後は、明日の上棟式の予行演習で終了。

 夜、電車で奈良の実家に帰る。カツカレーを食して、熱いお風呂に入って、寝る。明日は、いよいよ人生初めての上棟式。楽しみでならない。

4月18日(月)
 午前中、起きては寝ての繰り返し。たっぷり体力の充電。昼、メールなどの雑務。「凱風館」の進め方をチェックし、あれこれ準備。先週の課題をスキャンして、桑沢の講義を準備する。一週間があっという間に過ぎる。

 夕方、桑沢デザイン研究所にて「デザイン論」第二講。取り上げる都市はウィーン。クリムトやシーレの絵画を通して、分離派のもっていた独特の雰囲気について話し、アドルフ・ロースの装飾について展開する。建築のもち得る意味について。ロースのミューラー邸の内部と外部のギャップとラウムプランについて説明。同時期に建ったミースのトゥーゲンハット邸についても話す。学生たちの感想を読んでみると、トゥーゲンハット邸が特に印象に残ったとの反応多し。熱意が伝わったのだろう。最後は、ワーグナーの郵便局とハンス・ホラインのポストモダン建築、フンデルトヴァッサーについて。昨年聴いてくれた二年生の学生が五人も来てくれて、今年聴くとまた違って聴けるとの反応を受け、みなしっかりと勉強し成長していることを実感。早くも今年の学生からもオープンデスクの希望をもらい、相談。やる気のある学生には最大限の誠意で答えたい。

 夜、大学時代の友人が来所。「凱風館」の模型を見てもらったり、311以後の世界について話し込む。僕の銅版画を買いたいとのことで、選んでもらう。彼は、二年前にも一枚買ってくれて、今度は両親にプレゼントしたいらしい。こうした善意に貢献できることは何より嬉しい。

 深夜、明日からの出張の準備に追われる。机の周りは一向に片付かない。同じ場所に二日いない生活をしていたらそりゃそうだわな。とほほ。読書の時間も劇的に減っていて、買った本ばかりが山積みされていく。とほほ。

4月17日(日)
 朝、「凱風館」の現場へ。建て方五日目。日曜日だが、月曜日の雨と言う予報を考慮して予定を差し替えた。近くでは、だんじり祭りの練習で太鼓に鐘の威勢のいい音が響き、さながら上棟式のような一日だった。

 作業は、二階の小屋組を続けて、屋根の棟木まで繰り上げる。クライマックスは、美山町の杉の丸太がしっかりと設置され、檜の大黒柱によって支えられる。五人の大工さんは皆フル稼働でミスなく仕事を進める。プレカットの精度も高く、複雑な部材もビシバシはまっていく。ちょっとしたホゾの加工はその場で対応していく。自分のイメージしていた空間がリアルに広がりをもってできていくのをこの目で見て興奮する。

 最後は屋根の垂木も設置して、ボリュームはすべて出来上がる。住吉駅前の交差点からもすぐに見える程の存在感。雨を凌ぐために組み上がったばかりの屋根群にブルーシートをかけて終了。明日は大工さんにしっかり身体を休めてもらって火曜日、建て方を終え、水曜日に晴れて上棟式をしたい。

 夜、新幹線に乗って東京に戻る。石巻から始まった壮絶な一週間だったが、怒濤の日々は続く。風呂に入って、すぐに寝る。

4月16日(土)
 朝、炊飯器の「ご飯が炊けました」の声で起きる。ぐっすり寝かせてもらった。シャワーを浴びて、お味噌汁と納豆を三人で頂く。内田樹先生は、新聞四紙を読んでいた。奥様に素敵な漆塗りの器を誕生日プレゼントとして頂く。
僕は誠に幸せ者である。

 午前中、「凱風館」の建て方四日目。二階の北面から柱や梁を立ち上げていく。みるみるうちに和室や寝室、お風呂などの骨格が組み上がる。身近で見ていて棟梁を中心に大工さん達の息の合った動きと優れたバランス感覚の動きに見入る。美山から届いた杉の丸太も二本が設置完了。あと二本。問題なく無事に作業を終える。月曜日が雨という予報を受け、明日の日曜日も建て方続行を決定する。

 夜、奈良の実家に帰ってくる。両親と祖母がケーキを用意してくれていた。何歳になっても誕生日は嬉しいもんだ。メールなどの雑務。現場の写真を整理する。刻々と変化する現場に空間がイメージ通り、いやそれ以上に立ち上がっていくのを日々興奮している。深夜、本を持つも疲れて一項も読めずに寝る。

4月15日(金)
 早朝の新幹線に乗って「凱風館」の建て方三日目へ。二階の床面を固めていくも午前中に雲行きが怪しくなり、岩木棟梁が作業ストップの判断。すぐに片付けて木材の養生作業。ブルーシートを綺麗に架けて終了。

 昼、現場にてキッチンハウスさんと打ち合わせ。サンプルも持参の上、あれこれと話を伺う。それから中島工務店の加藤さんと打ち合わせ。これからの行程なども確認。何より来週の上棟式に向けて頑張っていきたい。夕方、内田樹先生が現場入り。ブルーシートに囲われた道場空間を初めて体験してもらい、現場の進み方を説明。普段お稽古している90畳のスペースより75畳の「凱風館」の道場の方が広く感じるとのこと。「哲学する木こり」こと小林直人さんの杉を触り現場の香りを楽しみながら方位などを確認していた。唐松の集成材の表情も気に入って頂き、杉と桧とのバランスもうまくいっている。

 夜、内田先生と二人で三宮のステーキレストランKOKUBUへ。バースデーディナー。ほほがとろけるような神戸牛のステーキをごちそうになる。オーナーシェフの國分さんも素敵な方で、道場の話などで盛り上がる。とっても美味しいシャンパンも飲みほろ酔い気分。石巻での話、政治家、インプラント、ミスマッチ、先生の32歳の話など楽しい時間を過ごす。続けてもう一件、バーRESETにてバーボンを飲み、すっかり気分高揚。奈良に帰るつもりが終電を逃してしまい、内田先生宅に泊めて頂く。

 自分が設計した初めての建築が今、まさに立ち上がっている建て方の中日で32歳の誕生日を迎え、今年がミラクルイヤーになったのは何より内田先生のおかげ。こうして祝杯を挙げられる喜びを噛み締め、幸せを深く実感。また、メールや電話にて多くのお祝いのお言葉を頂き、この場を借りてお礼申し上げます。本当に感謝の気持ちで一杯です。これからもこうした「ご縁」を大切に日々精進して、人生を少しでも豊かにできるような時間を重ねていき、多くの人とそうした喜びを共有したいと思っていますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

4月14日(木)
 午前中、メールなどの雑務と「凱風館」1/30模型のオペレーション。昼、日大船橋校へ。ベーシック建築デザインのガイダンス。84人の前で自己紹介し、建築を好きになりその面白さを知ってもらうにはとにかく良い空間を実際に見て体験してもらうことを伝える。その後自分の担当する14人の学生とも話す。みんな大きな目標をもっていてこれからが楽しみだ。

 夕方、渋谷で南條事務所の西山女史とテキスタイルデザイナーの安東さんと「間仕切りプロジェクト」についての打ち合わせ。事務所に戻って、「凱風館」の模型をチェック。内部空間がスタート。また明日の打ち合わせ資料の準備を仕上げていく。上野の美容サロンもいよいよ明日から解体工事スタート。たくさんのことが同時進行していてギリギリの舵取りが続く。

 夜、石巻への企画書と手紙を書いて送信。深夜、あれこれ今後の準備を進める。32歳を迎える。家族、友人をはじめ皆様のおかげで今の自分があります。有り難うございます。これからも周りの方々への感謝の気持ちを忘れずにしっかりと精進したい。今後とも何卒宜しくお願いします。

4月13日(水)
 朝、電車に揺られて御影へ。「凱風館」の建て方初日の現場へ。岩木棟梁と挨拶し、いざスタート。北面の土台から柱へと設置していく。快晴の空の下、現場には檜の香りが漂い始める。土台の上の気密パッキンの上にミリ単位でしっかり部材が留められていく。そして、ついにクレーンで大断面集成材がつり上げられれて、9m離れた二つの柱にしっかりとはめ込まれる。丁寧に確実に作業は進み、夕方にはついに8本すべてが設置されて、道場の空間が立ち上がる。想像よりもスケールが大きく、興奮する。三人の大工さんが実に阿吽の呼吸で手際よく作業が進む。最後の最後まで棟梁が掃除もして無事初日完了。現場が綺麗であることは良い建築をつくる絶対条件。

 新幹線に乗って帰京。車中、爆睡。夜、メールなどの雑務。深夜、「間仕切りプロジェクト」の今後の展開を考えて、明日からの動きを又整理する。しかし今日、人生初めての経験をした。自分でスケッチして計画設計した建築が立ち上がるその瞬間に立ち会った。来週の上棟式まで気の抜けない仕事が続く。

4月12日(火)
 午前中、事務所の整理とデスクワーク。出張の準備をして、昼過ぎの新幹線で神戸へ向かう。車中、『足ふみ留めて』を読み進める。

 午後「凱風館」の現場で中島工務店の加藤さんと打ち合わせ。明日からの立て方のスケジュールと今後の進め方について話し合う。夕方、三宅整骨院へ行ってぐりぐり。

 夜、奈良の実家へ帰ってメールなどの雑務。ついにプロ野球が開幕。阪神タイガースも開幕戦勝利。深夜、「凱風館」デスクのディテールをスケッチ。読書して寝る。

4月11日(月)
 午前中、桑沢デザインの「デザイン論」レクチャー準備。「凱風館」の明日の打ち合わせ資料も進める。展開図の赤入れや模型写真の撮影。

 午後、アルテスパブリッシングの鈴木さんと合流し、青山にあるほぼ日イトイ新聞オフィスへ。渡辺女史と武井さんと打ち合わせ。被災地での「間仕切りプロジェクト」の話しをしたりして、意見交換。「凱風館」の建築とその周辺にある物語を言語化することについて話し合う。大変面白い話しができ、これからが楽しみ。言葉は頭の中で思考しているだけでは停滞してしまい、こうした他者とのキャッチボールを経て実に多くの発見があることを再確認。良き小説家には良き編集者がいることが分かる。

 夕方、桑沢デザイン研究所へ。大松先生と挨拶し、今年の授業について話し合う。「デザイン論」第一講。僕のレクチャーの骨格となる「旅」について話を始める。外の世界を見て、視野を広げることで、自分の価値観を柔軟に形成する大切さを伝える。そのためには、「他者への想像力」が鍵となること、それがデザインの本質であり、強度あるモノをつくるために必要不可欠だ。石巻に行った時の写真を見せながら「間仕切りプロジェクト」も紹介。そこにある現実をテレビで分かった気にならないで、より精度のある情報を汲み取って、コンセプトのある空間の提案が大事である。枕はそこまでで、本編はギリシャのアテネとサントリーニ島の話。アクロポリスの石の建築、パルテノン神殿からピキオニスの道のデザインを紹介。続けてサントリーニの美しい集落とそこに行ったモダニズムの巨匠コルビュジェについてサヴォア邸やロンシャンの教会を通して話をする。入学したばかりの学生たちにとって本当の最初の授業。いきいきした目でみな真剣に聴いてくれていたので心地よく話すことが出来た。最後に「卒業した小学校から家までの地図」をそれぞれに描いてもらう恒例の課題で終了。三時間。

 夜、渋谷で美容サロンのオーナーさんと職人の河野さんと打ち合わせ。デザインの確認と細かいチェックをし、契約を交わす。固い握手をする。大変難しい工期と予算の中、何とか今週中から解体が始まりそうでこれまたワクワクする。

 深夜、学生たちの感想シートに目を通す。去年同様、ピキオニスに興味を持った人が多いようだ。みんなそれぞれにしっかり講義の内容を理解してもらったようで一安心。「私も旅がしたくなりました」と多くの人が感じてもらえたのは収穫。これからもしっかり講義したい。メールなどの雑務を済ませて寝る。これまた充実した長い一日が終わる。

4月10日(日)
 早朝、ホテルで朝食を済ませて、仙台を後にして石巻市へ向かう。三陸道が渋滞し、一時間半以上かかってしまうも、高速道路を下りるとさながら戦場のような風景に文字通り言葉を失う。高台の上にある石巻市立高校に到着し、建築家の芦沢啓治さんのチームと合流する。早速、校舎の裏に位置する武道館にて布で間仕切りを設置する。ワイヤーを張って、洗濯バサミで布を吊るというしごくローテクなので、スピーディーに作業が進む。半透明な生地が緩やかに空間を分切する。目線や隙間風を防ぐという機能的なことだけでなく、何より見ていて美しいということだけでもきっと大きな変化だと思った。今回は、武道場を用途で分断したが、女性更衣室や授乳室、洗濯物干としてのなどの役割の展開を考える。

 昼過ぎ、高台にある日和山公園まで足を運んで石巻の街を見る。そこに広がる風景は今まで見たことのない衝撃的なものだった。テレビの映像では伝わらないものがある。風景の中の空気の量、泥の匂い、瓦礫の山々を目にして足がすくむ。高台から階段を下りていく。この階段を当日身体一つで駆け上がったであろう地元の方々の思いに胸が張り裂けそうになる。ここには生活があり、現実がある。車や船がもはや原型をとめていない。一ヶ月前に世界が変わったことを実感する。

 午後は、石巻中学校や石巻市中央公民館、図書館の避難所を廻って「間仕切りプロジェクト」の提案と「todoke!プロジェクト」の携帯チャージャーを届ける。避難所はそれぞれ受け入れる側と被災者の思いが交錯し、刻々と変わる状況のニーズに対応する難しさを目の当たりにする。これは本当に想像を遥かに超えてそこにリアルな現実があった。「カーテン」で「間仕切り」をつくって被災者の「プライバシー」を確保したい、という単純な構図でなく、一枚の布で空間に変化をつけることで何かちょっとした「気付き/発見」をみつけて少し豊かな気持ちになってもらえたら嬉しい。

 六時半、石巻を後にして深夜東京に帰ってくる。しかし、今回被災地を見て、何かしらのコミットをしたいと思っているがこれは明らかに長期戦になる。無関心が一番怖い。避難所の校庭でボール遊びする子供たちの笑顔が印象に残る。人間の強さを感じた。真っ暗の高速道路を西山女史と交互に運転しながら安東さんと三人で今回の視察を通して感じたことを話し合い、今後の展開や反省点も含めて有意義な意見交換をする。一つ言えることはやはり百聞は一見にしかずで、とにかくこの体験を通して現地の方々の声を聴き、具体的に顔の見える形で提案できるように引き続き精進したい。帰宅したら、すぐさまベットに倒れ込むように寝る。

4月9日(土)
 午前中、メールなどの雑務と東北入りの準備。美容サロンの最終見積りも上がり、河野さんの頑張りもあって予算内に滑り込む。ギリギリの時間と予算だが、思いを込めてしっかりと工事を進めてくれるだろう。月曜日の契約を調整する。

 昼過ぎ、初めて日本大学船橋校舎へ。今年から非常勤講師として一年生の設計製図を教える。教職員研修会に出席。小石川先生の挨拶が短大としての60年の歴史に対する思いが伝わって身が引き締まる。

 午後、神田の岡安照明デザイン事務所にてテキスタイルデザイナーの安東陽子さんと南條事務所の西山女史と合流する。車に布や洗濯バサミを詰め込み、ファンキー編集者アンディーが進める「todoke!」から携帯チャージャーを6箱受け取って石巻での配布を約束する。こうした横の繋がりを大切にしたい。

 車の中であれこれ作戦会議。安東さんの「間仕切りプロジェクト」について経緯や詳細を伺い、こうした時の行動力とスピード感、現地とのご縁について話し合う。深夜、仙台のビジネスホテルに到着。電気はつくるものの、ガスが止まっていてお湯が出ないし、暖房がつかないけど全く問題なかった。

4月8日(金)
 午前中、メールなどの雑務。昼、「間仕切りプロジェクト」に参加するために洗濯バサミの調達に走り回る。午後、「凱風館」の展開図の修正を進める。1/30模型もまた進めて、内部空間を具体的にイメージしていく。来週の打ち合わせの準備を進める。
いよいよ建て方がスタートする。

 夜、中目黒のバーで友人の誕生会に顔を出す。日付の変わった瞬間にみんなで乾杯し、僕は事務所に戻って仕事。自転車で目黒川の夜桜を少しばかり堪能する。深夜、「凱風館」の文章を書き進めて、まとめて送信する。

4月7日(木)
 午前中、メールなどの雑務。午後、「凱風館」の展開図等の図面チェックと寺子屋机のスケッチする。イメージをしっかりと伝えるように工夫する。今月末に加子母の山を見に行く時までに試作品を一つつくってもらうように手配する。ガーデンテラスの手すりのディテールも検討。建築の顔でもある大切な部分。模型写真と一緒にプレゼンテーション資料の準備も始める。

 夕方、美容サロンの修正案をまとめて、どうにかデザインのエッセンスを残して見積り減額案に収めたい。もろもろの電話対応。そんな中、週末に東北の被災地に行く計画が決まる。顔の見える形で少しでも何かできないかと模索する。視察の要素も強く、長期戦になるだろうからあまり前のめりにならないでしっかりと目で見て感じて、やっていきたいと思う。

 夜、大学時代の親友と食事。青空空間のオーナーでもあるので、近況報告。やはり311以降、あらゆる前提が揺れていることの認識。ライフスタイルの変化、原発の話しもエンドレス。情報格差が起きていることと、膨大な情報をかき分けるリテラシーが今ほど問われている時代はない。

 深夜、「凱風館」の文章を書き続ける。今日は25枚。文章って面白くて、書いてる瞬間の自分は、読み返している推敲している自分とはもう既に違う人間になっていることを実感。納得のいく水準まで書き上げるのには時間と体力が必要。BGMは、斉藤和義。名曲「ずっと好きだった」を「ずっとうそだった」という替え歌が配信されたのが波紋を呼んでいる。しかし、こうした時に「音楽」の力は大きい。自粛ムードや頑張ろう日本ムードとは確実に異質なものをあの斉藤さんの映像に感じた。また宮城県沖で大きな地震があり、混乱は続く。鎮魂を心より願う。

4月6日(水)
 午前中、芸術新潮の前田さんとカメラマンの筒口さん来所。「凱風館」の連載の打ち合わせ。少しして内田樹先生も来所。1/30模型を見ながらあれこれ説明し、建築の外観を理解してもらう。パシパシ撮影もされつつ、設計の打ち合わせも終えて前田さんにバトンタッチ。連載の二回目、インタビュー。紙面になるのが楽しみな話をたくさん聞く。
終わってから内田先生を駅まで送る際に福島原発を擬人化してお祈りをするという面白い話を聞く。充実の二時間。

 午後、代々木のGAギャラリーへ行く。世界の建築家による住宅展。それぞれの建築家の試みがそれぞれのヴィジョンを伝えてて興味深い。形も素材もプレゼン方法もいろいろ。久しぶりに行ったからか、70年代前半や中盤に生まれた若い世代も展示していて自ずと身が引き締まる思い。しかし、住宅というのは商品としては施主の私的なものだが、社会的でパブリックな要素もある。それをどう捉えているかが建築家の大事な舵取り。造形は二の次。環境風土の違う外国勢の住宅ももちろん日本のそれとは違ってくる。

 夕方、事務所に戻ってメールなどの雑務。美容サロンの見積り調整など諸々の電話対応と減額案をスケッチで検討する。週末からまた新しい動きが出てきたりする。夜、JIAのセミナーを企画してくれている建築家の石川女史と打ち合わせ。311の当日、五時間弱一緒に歩いて以来。あれこれと自己紹介とかも含めて話し合い、来所してもらって「凱風館」の模型を見てもらう。たくさんのシンクロポイントがあり、遅くまで盛り上がる。

 深夜、買ったばかりの『足ふみ留めて』(佐々木中、河出書房新社、2011)を読み始める。気付けば今週も折り返し。早っ。

4月5日(火)
 午前中、メールなどの雑務。「凱風館」の1/30の模型をスタッフと学生二人の総動員。高い精度で綺麗に模型が進んでいく。
明日の打ち合わせに向けて外観をちゃんと固めたい。

 昼は、黒崎さんの自由大学にてランチミーティング。実に多様な人がいて、美味しいサラダとパスタを食べる。オランダ人アーティストやシャツ職人、フォトグラファーの方々と話す。それからシアタールームに移動して、先週黒崎さんらが仙台に入って被災地に行った時の視察写真の発表会。ニュースで目にする映像とは違う質のようなものを感じる。実際に撮った人の顔が見えて、声を聞きながら伝わる力はテレビのそれとは決定的に違う。これからの可能性についてあれこれ話し合う。

 渋谷で模型材料を調達して事務所に戻る。決めかねていた「凱風館」の外部手すりのデザインも決定し模型に取り付ける。学生たちも終電までよく頑張ってくれた。深夜までやり切って、無事目標としていたところまで完成する。そこから片付け開始。事務所を徹底的に掃除。しかも、カッターの替え刃を踏んで出血するというプチ事件であたふたしつつも朝方終了する。空は明るくなっていた。

4月4日(月)
 雲一つない快晴。放射線の不安や混乱が嘘のように静寂で、桜の花も咲き始めている。午前中、メールなどの雑務。美山町の杉材の最終調整についてあれこれの電話対応。物語のある材料で良いものを作るためにしっかりと関係者のコミュニケーションを確認する。

 午後も「凱風館」の諸々対応に追われる。『芸術新潮』の連載一回目の内田先生のゲラを読み、今月末発売の紙面が楽しみ。別件の自分の原稿も書き進める。夕方、美容サロンの減額案や見積り調整を進める。細かい機器等を選択する。今週が山場だから、しっかりと進めて来週中には現場がスタートできるようにしたい。

 夜、読書をして頭をほぐしてから「凱風館」の文章を25枚書き上げる。設計のことをスケッチ/図面/模型で表現するのと、言葉で表現するのとでは使う脳が全く違うので深夜まで集中して進める。

4月3日(日)
 早朝、新宿での待ち合わせ時間に起こされて、山登りのメンバーを待たせてしまう失態ではじまる一日。半時間遅れで大学時代の友人たちと合流していざ丹沢へ。山の中をゆっくり歩きながら登っていく。天気は終始曇り。でも新緑の山の風景を楽しみながら、ワイワイ七人で登山。山頂では、キムチ鍋などをつつく。美味。山における視線の距離感は、陸地のそれとはかなり違うようだ。遠くのようで近い。近いようで遠い。風はまだ肌寒かったが、止まらないで動いている限りは山登りに最適な時期かも。夕方、心地よい疲労感を持って電車の中で爆睡して都心に帰ってくる。

 夜、美容サロンの見積りについて打ち合わせ。とにかく限られた予算の中でみなが納得のいく生き生きした空間をつくるように、あれこれと工夫する。お施主さんとのこうしたリアルで厳しい対話こそが共通認識を生み、最終的に良いものをつくれるように努力したい。家に帰って熱い風呂に入って筋肉の疲労を取り、明日の準備を進めてベットに倒れ込むように寝る。山登りの筋肉痛もいいが、ランニングの習慣を取り戻してたるんだ身体を絞らねば。大阪マラソンのエントリー抽選が当選してほしいな。

4月2日(土)
 午前中、メールなどの雑務。1/30模型のオペレーション。いよいよ細かい窓枠などの作り込み作業。いい模型をつくることは、小さな建築をつくることと同じなので、丹念に作業を進める。昼、「凱風館」の屋根についてあれこれ考えて進める。

 午後、銀座BLDギャラリーへ。森村泰昌氏と高橋源一郎氏の対談を聴く。お二人が同世代ということもあり、芸術と文学における「言葉」について話が始まった。原理と原理をぶつけ合う政治について、70年代初頭の学生時代の世代的共通感覚から311の地震/津波/原発の3重苦が天災と人災であることによる政治の復活のことを語り合う。森村氏が311以降、軽くなってしまった言葉について「まずは、ごめんなさいでしょ、懺悔してからでないと始まらない」と語り、高橋氏が鶴見俊輔氏のプラグマティズムは南北戦争の教訓から生み出されたことを紹介しながら「原理主義同士の対話は成り立たない」と言ったのが印象的。共に学生時代にマルクス主義や毛沢東を読んだりしてた先駆的学生の存在がいて、彼らに未だ追いつこうと「宿題をもらった」感覚で頑張っていることが二人の共通点として確認された。締めは森村氏の「三島由紀夫」の映像作品を流して観る。この対談こそ聞いた人たちにとって良質の宿題であることだと思った。

 夜、中学時代からの仲良しと友人宅でホームパーティー。お医者さんや看護士さんの話を聞きながら大いに盛り上がる。深夜、山登りの準備をし、届いたばかりのルドフスキー本を読み始める。

4月1日(金)
 午前中、久しぶりに来所したスタッフと打ち合わせ。いつものように東京での仕事を再開する。メールなどの雑務と電話対応。

 午後、「凱風館」の進め方と図面化作業のチェック。寺子屋として道場を使う時の机のスケッチを続ける。見積書とにらめっこしながらサロンの減額案についてあれこれと考える。ひたすらデスクワークで書類関係を整理していくが一向に机の上が綺麗にならない。机を綺麗に整理しないと頭の中が整理されないのと一緒だからしっかりせねば。

 夜、阿佐ヶ谷で友人たちと合流し色々と近況報告。編集者とフォトグラファー、テレビ番組制作会社、元数寄屋大工の建築家、お役所勤務という不思議なメンバーで楽しくワイワイ食事。こうしたボーダーレスな繋がりが本当にご縁を生んで少しずつ熟成していく。

 深夜、帰宅してメールなどの雑務。今日から新年度。天気も少しずつ暖かくなってきたようだし、しっかりと気持ちを引き締めて納得のいく仕事をやり切って精進したい。

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