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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2011 may

5月31日(火)
 朝一の新幹線で新大阪で乗り換えて住吉へ。「凱風館」の現場打ち合わせ。足場のシートを外していたので、建築の外形が遠くからよくわかった。壁や配管工事も進み、空間の骨格はしっかりと捕まえられるようになった。壁を閉じることで空間が細分化され、二階は路地を歩いている感じがあった。

 現場にて昼から夜まで八時間の打ち合わせ。屋根、設備、建具、照明など、もう細かいところからたっぷり、じっくり打ち合わせ。良くスケッチし、あれこれと決定していく。途中、PSとSECOMの打ち合わせもあり、内田先生もおかきの差し入れに来て頂いた。充実の疲労感で帰りの電車でぐっすり熟睡。

 奈良の実家に帰宅後、メールなどの雑務。招待されたドイツ・ニュルンベルグでの夏のシンポジウムのためにレクチャーのサマリーを英文でまとめて送信。二ヶ月とはいえ、きっとすぐだろうから、きっちりとレクチャーの準備も進めたい。タイトルは、『The Rearrangement of Architecture by Nature』。今日で五月が終わった。いやはや、稲妻のごとく時が過ぎる。

5月30日(月)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。「凱風館」の照明計画と天井伏図をチェックして打ち合わせ資料をまとめる。昼、書斎の本棚のスペースに新しいアイディアを取り込んで、あれこれとスケッチ。図面化してまとめる。床下収納の在り方などを整理した。

 夕方、桑沢デザイン研究所へ。「デザイン論」第七講。取り上げる都市はベルリン。ベルリンの壁や強制収容所の写真からスタートし、ドイツという国がいかにして負の歴史と向き合ってきたかを紹介。アイゼンマン設計のホロコースト記念碑とリベスキンド設計のユダヤ美術館の斬新な現代建築について話す。リベスキンドに関しては、初期の「チェンバーワークス」などのドローイングも紹介。ザハ同様、アンビルドだった建築家たちの躍進について。ユダヤ美術館のオープニング・パフォーマンスとしてサシャ・ヴァルツが振り付けし、後に『ケルパー(身体)』として作品化されたタンツテアターからピナ・バウシュの舞いについて話が進む。唯一無二の芸術家。ハンス・シャローンのドイツ表現主義についてフィルハーモニーホールで説明していたらチャイムが鳴り、中休み。後半は、シャローンの図書館、ミースの美術館などベルリン建築を紹介した後、現代的アーキタイプとしてUNスタジオ設計のベンツの美術館とヒンメルブラウ設計のBMWの美術館についても話す。ベルリンに戻って、ガラス張りの中央駅やペルガモン美術館、オペラ座広場の前にあるナチスの焚書を忘れないための「空っぽの図書館」を紹介。フォスター設計の透明なガラスのドームをかけたライヒスタークとその建築を布で被ったクリスト/ジャンヌ=クロードの作品についても話す。敬愛する建築家ペーター・ズントーのクラウス・チャペルについて詳しく紹介。最後は、僕がベルリンで描き、展覧会をした11枚のドローイング『Connected Borders』を見せる。この連作を通して自分が建築家としてどういうスタンスで仕事をしていきたいかを伝える。自由な感覚と柔軟な価値観、自分の物差し、引き出しの大切さについて。授業後、いつものように感想を紙に書いて提出してもらったが最終回ということもあってか、いつもよりぎっしり書かれていた。

 とある学生から「先生の講義では、毎回色んな国の、しかも内容も盛りだくさんでお話を聞かせていただいたが、結局伝えたいことというのは同じだったのではないかと感じた。他者への想像力。この言葉はきっと忘れないと思います。それを自分の創造力に変えていきたいです。」と書いてあって、僕のレクチャーの本質的な部分が何がしか伝わったことを知り、ほっとする。というか、単純に嬉しい。寝ることもなく、真剣な眼差しでこっちを向く学生たちが僕の思考を刺激する。

 学生たちと打ち上げとして飲みに行きたかったが、やることがあるので残念ながら直帰。明日の打ち合わせ資料をプリントアウトし、もろもろの最終チェックと準備を終える。これからのスケジュールも確認。

5月29日(日)
 2011年チャンピオンズリーグ決勝戦をテレビ観戦。とにかく凄いサッカーを見た。試合開始早々、マンチェスターユナイテッドのプレスとロングボールでバルサを圧倒するも決定機を作るまではいかなかった。そして徐々にバルサのペースに変わっていく。メッシの調子が上がらない中、シャビとイニエスタが中盤を支配し、左右のサイドバックをうまく機能させてピッチを広く使い出す。まるで巨大な生き物のようにピッチ上の選手がものすごいスピードでパスを回していき先制点。マンチェもルーニーの一発で一矢報いるも、後半は流石に運動量も落ちてバルサの独壇場。世界最高プレーヤーのメッシもついに躍動し、勝ち越し弾。その後も創造力溢れるプレーを続け、ビジャの芸術的な三点目。40歳のキーパー、ファンデルサールには苦い引退試合となった。現代サッカーは完全に進化していることをバルセロナは世界に知らしめて、二年ぶり四度目の欧州チャンピオンとなった。2009年にローマのスタジオ・オリンピコで見たマンチェ対バルサの再戦は又してもバルサに軍配が。息をのむ90分間の感動をありがとう。バルサには12月、日本でも躍動してほしい。チケットを手に入れねば。

 サッカーで興奮したせいか、あまり寝られず起きてメールなどの雑務。昼、赤坂見附のレッドシアターにて弾丸MAMMAER『堕落美人』(作・演出竹重洋平)を鑑賞。15年近く逃亡生活を続け時効寸前で逮捕された福田和子をモチーフに人間ドラマを描いた力作。主演の芳本美代子氏とママ役の奥山美代子氏の両者の演技が素晴らしかった。夫を殺害しても、母であり、女であり、一人の人間であることが愛情を受けることでしか確認できないということを教えられたように思う。「彼女には観客が必要だった」という台詞が心に残る。つまり、そばで見ていてくれる人がいることの深い愛情。

 夕方、模型材料を買って帰宅。「凱風館」のセミパブリックスペールの家具や書斎の本棚についてあれこれ考えてスケッチ。『生物から見た世界』を読み進める。人間の主体と外の世界、環境の在り方について示唆に富んだ文章が続く。

 夜、NHKの「最後の楽園」を見て、海中に潜む魚たちの多様な世界に驚く。口の中で子育てをすることや巨大なまずが稚魚を守ることを知り、自分たちの卵をなまずの卵の中に潜ませるといういわば「トロイの木馬」的発想。こうした「進化」が成り立つのは、「過密な環境における競争」であると知り、人間世界における相互扶助的共同体の在り方と一緒であると思った。

5月28日(土)
 昼までぐっすり寝る。外は相変わらずの雨模様。すっかり梅雨入りだ。午後、「凱風館」の寺子屋机のスケッチを描き足す。それから友人夫婦の工事現場へ。木造の家を建てていて、建築家として工事を見てほしいとのことで建て方を終えた現場をチェック。その後一緒にうまいケバブを食しながらあれこれと相談に答える。

 夕方、デスクワークを済ませて、のんびり読書。『生物から見た世界』(ユクスキュル/クリサート、新思索社、1995)を読み始める。次回LATs読書会の副読書なので、『生態学的視覚論』と平行して読み進めたい。

 夜は、「凱風館」の原稿を書く。やっとリズムも掴み、深夜まで一気に22枚まとめて送信。再度読書しながらUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦のキックオフを待つ。

5月27日(金)
 午前中、メールなどの雑務。夏のドイツでのシンポジウムについて対応。震災と都市/建築についてメモ。「凱風館」の建具関係のディテール図面をチェック。昼、天井伏図と照明計画について打ち合わせ。展開図も一通りチェックしていく。夕方、書斎の本棚やテラスのてすりについてもあれこれ考える。

 一日中、雨が降り続く。ついに東京も梅雨入りしたとのこと。深夜、「凱風館」の寺子屋机のスケッチを再度考えて描きあげる。

5月26日(木)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。銀行で用事を済ませて日大船橋校へ。

 昼、ベーシック建築デザインの授業。家具や立面図の植栽などの製図。三コマ目は、世界的建築家、安東忠雄氏のビデオ。20年前のもので、若き安藤さんがボクシングまで披露。水の教会の現場や六甲の集合住宅が取り上げられていた。愛犬のコルビュジェも可愛い。学生たちにあのエネルギーは伝わっただろうか。来週からいよいよトレース。題材は、住吉の長屋。僕がトレースの基本的なことをレクチャーする予定。

 夕方、嬉しい電話連絡。上野のサロンに取り付けるガス給湯器の目処がやっとつく。工事は完成しているのにお湯だけが使えない状態が続いていたが、諸々の検査も終え、来月には無事営業がスタートできそう。東日本大震災の影響で、給湯器はみな品薄。こればかりは致し方ない。

 夜、事務所に戻って仕事。「凱風館」のあれこれを進めて、来週の打ち合わせ項目を整理していく。寺子屋のテーブルの第二弾についてもスケッチ。新しい突破口をみつけたい。もう少しスケッチを重ねよう。深夜雨が振り出して、ランニングを断念。その代わり「凱風館」の原稿を少し進める。週末にはまとめて送信できるレベルまでもっていけそうだ。

5月25日(水)
 朝、山本画伯とゆっくり朝食。本日の動きを確認しながら、あれこれと話し込む。チェックアウトを済ませて、いざ厳島神社へ。一方通行の神社内をのんびりと歩く。周りは修学旅行生の嵐。若い元気な生徒さんたちがワイワイと見学。寝殿造りの構造や屋根の重なりに目を奪われながら、五重塔や鳥居がヴィスタとして綺麗に機能してることを体験。手すりのないデッキに太陽光が煌々と降り注ぎ、干潟に美しい模様を落とし込んでいることに気付く。まるで現代アートのインスタレーションのごとく輝いていた。鳥居と本堂、背景にそびえる山との軸線に沿って美しい光が踊っていた。興奮して写真を取り続ける。このことは、いずれしっかりと考えて言語化したい。能舞台も修復中で床が剥がされ、骨組みを見ることができた。老松の描かれた鏡板も外され、神社の回廊からは綺麗に鳥居が借景されて幻想的だった。腐敗した土台の修復工事をするとのこと。

 厳島神社に三時間近くいて、発見の多い、あっという間の参拝となった。フェリーで宮島を後にして、新幹線で福山へ。車中、あなご飯を食す。美味。福山からはタクシーで沼名前(ぬなくま)神社へ。豊臣秀吉の伏見城にあったとされる能舞台が十八世紀初頭にここへ贈られたらしい。実に凛とした佇まい。屋根のプロポーションや橋懸かりの角度が絶妙で高台から海を望む風景と相まって時間を忘れて見惚れてしまう。内部も案内してもらい、風化してしまった老松がほとんど薄れて見えないものの歴史が物語る気配らしきは鏡板にしっかりと封じ込められていた。鏡板のプロポーションもまた横長でシャープな印象。その後、鞆の浦の街を少しばかり散策し、バスで福山駅まで戻る。画伯と二人でコーヒータイム。旅の反省会。「樹齢千年の松と能舞台を巡る旅」が幕を下ろす。実に濃厚な時間を過ごすことができて、精神的に大いに充電することができた。やはり、何より実物をこうして観ることの大切さを実感。旅はいつも発見に満ちていて、一人旅ばかりしてきた僕としては、山本画伯と一緒に長い時間を共にしたことがこれまた大収穫。大変勉強になった。すぐにはつながらないかもしれないが、建築家として仕事していくことにこうした旅は間違いなくフィードバックされていくだろう。

 福山城が綺麗に見える新幹線のホームを後にしてのぞみに乗る。新神戸で画伯と固い握手の後分かれ帰京する。さすがに帰路はぐっすりと寝入る。事務所に戻ってメールなどの雑務。明日からの動きとやることリストを整理する。旅で手に入れた生命観を糧にこれからも邁進していきたい。

 深夜、「凱風館」の原稿を少々書き進めて就寝。五月も後一週間。東京の空には綺麗な三日月の姿があった。

5月24日(火)
 早朝、羽田空港から出雲へのフライト。冷たい雨振る東京から一転、晴れて暖かい島根県へ。「凱風館」の敷き舞台に老松を描いてもらう山本画伯と一泊二日のエスキース旅行。

 出雲縁結び空港からバスで出雲大社へ。のどかな田園風景に心が和む。バスの運転手さんが出雲弁を交えてガイド役として機能し、大変愉快な一人旅がスタート。北西に植えられた防風林を備えた民家が印象に残る。半時間ちょっとで出雲大社に到着。参道を散策しながら松の木々を見る。昼前、関西から電車で山本画伯とカメラマンの谷口さんが到着。早速本堂まで歩いて樹齢千年とも言われる松の木を探す。本堂脇にその松はみつかった。圧倒的な存在感。美しいフォルムで生命観に溢れていた。画伯はスケッチブックを取り出し、スケッチしていく。僕もスピードスケッチを一枚。

 田中屋という蕎麦屋で遅めの昼を食し、第二ラウンド。今度は水彩画でスケッチをする。いつも建築や都市風景をスケッチすることが多い中、松の木という植物を楽しみながら描くことができた。近くで画伯がスケッチする姿を観ることができたのも感慨深い。

 夕方、一畑電車とJRの特急と新幹線を乗り継いで岡山経由の広島・宮島へ。車中、画伯と老松についてあれこれレクチャー。宗達の描いた老松の屏風絵を見ながら興味深い話しが続く。最後はフェリーで宮島へ。岡山で谷口さんと別れ、画伯と二人旅。ライトアップされた厳島神社を散策して、ホテルに戻る。最高に充実した一日となった。いやはや、良く動いた。旅する建築家と言ったところか。

5月23日(月)
 朝から電話対応。夏のドイツ行きのフライトを決定する。いよいよシンポジウムのレクチャーについて考えたい。

 昼、アルテスの鈴木さんと「ほぼ日」の担当者が来所。「凱風館」のコンセプトを説明し、建築家としてのスタンスについて意見交換。魅力的な人たちを一緒になって連載をつくり、本をつくっていく作業は建築をつくることを何ら変わらないと感じる。良いものができるように最強タッグを組んでいきたい。

 「凱風館」のあれこれの未決定事項を電話対応しながら決めていく。桑沢デザインの講義を準備して、すぐに原宿へ。今日も雨。デザイン論の第六講。フィンランドから話しがスタート。アアルトの建築が欧州の中心のモダニズムとは違ったカタチで展開されたことを話す。そこには北欧の自然が関係し、有機的な造形が組合わさっていく。対して、アメリカではどうかということで、ルイス・カーンについて話す。ブリティッシュ・アート・センターの複数のレイヤーが組み込まれたトップライト。ソーク研究所の海との関係。キンベル美術館の宝石のようなコンクリートの天井の光。50歳を過ぎた遅咲きの建築家が世に残した三つの名建築の光を通してモダニズムを考える。途中、北欧の現代建築としてルイジアナ美術館とヘルシンキのキアズマも紹介。講義後、ヴィジュアルデザイン学科の学生からアーキグラムについて質問され、あれこれと思いつくことを話す。分かってくれただろうか。しかし、興味を持って他学科の先生にも聴きにくるこうした意欲的な学生には頑張ってほしい。気がつけば十時になっていた。四時間も話し続けたことでさすがに声が枯れてきた。

 深夜、メールなどの雑務。その後、旅の準備を進めてベットに倒れ込む。明日からの弾丸出雲への旅を満喫したい。しかし、それにしても「凱風館」には盛りだくさんの物語が込められていく。

5月22日(日)
 午前中、のんびり部屋の掃除と洗濯。午後は、石川遼くんのゴルフを見ていて久しぶりにクラブが振りたくなったので気になっていた目黒のゴルフ練習場へ。夕方、あれこれ雑読する。夜、友人に依頼された翻訳作業を仕上げて送信。

 深夜、目黒川沿いをランニング。少しずつ走れる距離が増えてきたがまだまだ。しっかりと積み重ねよう。グールダのベートーベンを聴きながら「凱風館」の原稿を書き進める。一編を書き上げて寝る。午後から天気が崩れたが、久方ぶりにゆっくりできて充電完了。これからも頑張りたい。

5月21日(土)
 午前中メールなどの雑務。昼、LATs読書会の次回のポスターを完成させる。取り上げるのは、ギブソンの『生態学的視角論』。アフォーダンスを切り口に現代的意味合いから「身体性」について考える。

 午後、「凱風館」の建具枠などについて細かくディテールを考える。建物全体のコンセプトがディテールレベルでも繋がるように考えたい。夜、久しぶりに大きなドローイングに手を入れる。数ヶ月ぶりに対面したドローイングに着色作業を進める。

5月20日(金)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応で諸々を決定。「凱風館」の展開図をチェックし、新しいアイデアを埋め込んでいく。トップギア、エネルギー全快でどんどんデザインの密度を上げていく。

 午後も細かい資料のチェックと内部空間を鮮明にしていく。夕方、テキスタイルデザイナーの安東陽子さん来所。「凱風館」の1/30模型と図面を使って建築の説明。上棟式にも来てもらったので空間のイメージをすぐに理解してもらい、あれこれ打ち合わせ。建築家の独りよがりにならないように僕は多くの方々と恊働したいと思っている。指揮者がオーケストラに最高の音楽家を迎え入れたいのと同じ。構造を金箱先生、木材を美山の小林さん、土を左官職の井上さん、テキスタイルを安東さん、瓦を山田さん、絵画を山本画伯など蒼々たるメンバーに身が引き締まる。

 夜、大学時代の友人に銅版画を手渡す。彼は独立してすぐに僕の版画を購入してくれて、今回はご両親へのプレゼントとのこと。作品を通してこうした繋がりが生まれることを何より大切に精進したい。

5月19日(木)
 朝、お茶の水の日大校舎へ。ベーシック建築デザインの建築見学ツアー。総勢80人以上、バス二台で出発。まずは、横浜の大桟橋フェリーターミナル。流線的に構成された建築はうねる様にデッキが張られていて、うろうろと楽しみながら散策。内部の天井が折板構造になっているのが、唐突に直線的で反復性があることが曲線で反復しない床面の流れるデザインと乖離しているのがもったいなく感じてしまう。しかし、何よりフェリーターミナルという機能を超えて横浜のランドスケープになっている屋上の公園の開放性は魅力的。赤れんが倉庫が綺麗に見えたのでスケッチ。学生たちもそれぞれに写真を撮り、スケッチをしていた。

 昼は、中華街でランチ。中華独特の回転するテーブルで食事をし、「建築との出逢い」と題して非常勤講師の四人によるミニレクチャー。僕は、師の石山さんとの出逢いとヨーロッパでの就職について話す。午後は、赤れんが倉庫を見学。レンガの分厚い外壁に対して、鉄やガラスを駆使して時間の新旧を感じるシャープな空間。今度は逆に大桟橋が綺麗に見えたのでスケッチ。

 夕方、神奈川工科大学KAIT工房へ。ガラスの箱が地面にポンっと置かれたような建築で柱という概念をランダムな形でランダムに配置していたことで見たことない不思議な透明感を感じる。それがもつ空間の強度に建築家の強い意志を感じる。しかし、夏暑くて冬は寒いということに関しては、何か環境学的に講じることができたのではないかと思う。それでもデザインの純度を優先することを追求しながら建築家は新しい地平線を獲得しようとしているのやもしれない。バスでお茶の水に帰ってきて解散。先生方と打ち上げをする。

 夜、帰ってメールなどの雑務。「凱風館」の内観について検討事項を確認する。関係者との対応も大変になってくるが、しっかりとまとめていきたい。体力勝負。ジョギングしたかったが、疲れてダウン。寝る。

5月18日(水)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応もろもろ。上野の美容サロンの最後の工程についてスタッフに説明。昼、気になっていた駅前のとんかつ屋に行き、ロースかつを食す。美味。

 昼過ぎ「凱風館」の和室とロフトについて新しいアイデアをまとめる。図面化とスケッチの連続。午後、中島工務店の東京支店長である吉村さんが来所。挨拶とあれこれお話しする。それからずっと「凱風館」の打ち合わせ項目などについての細かい調整が続く。

 夕方、お茶の水へ。三省堂本店にて養老孟司氏の出版記念講演会を聴きに行く。タイトルは「生きていることは、楽しいことである」。自己とは何かということについて「地図の中にある現在地の矢印」こそが自己ではないかと話し始める。脳の中の「空間定位」を可能にする機能から自分と世界の境界線について話され、幽体離脱などを参考に語られる。自己という内側を無意識的に「ひいき」してしまうが故に一旦身体の外に出たモノに対して「価値の反転」が起きるという。つまり、つばは口の中にあったときは問題視されないが、ひとたび外に出すと汚いモノ扱いになることもその一例。近代化における排泄物に対する水洗化のスピードも、そう。そんな自己ということについて考えるにあたり「生態系」へと話は及ぶ。生態系はあらゆるものが「共生」する複雑な複合体であり、それぞれに「助け合いの関係」にある。そして、バイオの話に展開し、細胞レベルでも異物同士を抱え込んでいるという相互依存が一つの前提なのではないか。要するに自己を求めよという「自分探し」ということでなく、遺伝子レベルでもそうであるように共に助け合いながら「共生」した方が健全なのではないかという締めくくり。全く同感。最後に原発問題においても少し言及。推進か反対かという話しでなく、今、原発を若い人が勉強し、しっかりと取り扱わないと、誰もが「原発は危ない」からといって既につくってしまった全国57基の原発を放置した方が恐い、といった内容であった。何より与えられた椅子に一度も座ることなく立ったままのフリートークがズシズシと価値観を揺さぶる話で大変濃厚な時間であった。「凱風館」の丸太を一本寄贈して頂いたということもあり、講演終了後、控え室でご挨拶。養老先生に現場写真などを見せて説明する。実に和やかな表情が印象的だった。建築が完成したら見に来てくれるとのこと。

 深夜、デスクワークを少々。メールなどの雑務。えらく満月が綺麗であった。

5月17日(火)
 午前中、上野の美容サロンにてビルのオーナーさんとサロンのオーナーであるクライアントさんと打ち合わせ。決めごとを確認したりもする。いよいよ完成間近だが、震災の影響でガス給湯器の入荷が一切見えないのが唯一の心配事。

 昼、事務所に戻って仕事。メールなどの雑務と電話対応。午後、「凱風館」の立面図をスケッチし、予算の減額案を工夫する。夕方、ギャラリー間にて五十嵐淳展『状態の構築』を見て回る。綺麗な1/10模型が並び、建築家の造形的な意図が明確に見えた。またそれぞれの建築がちがった形体スタディーの結果生み出されていることに気付く。特に四階の近作における展開が印象的。

 続けて『ブラックスワン』(監督:ダーレン・アロノフスキー、2011)を観る。何と言っても女優ナタリー・ポートマンの映画。渾身の演技でトップダンサーの心情をうまく表現していた。時折スクリーンに大きく映ったナタリーポートマンの映像は、オードリー・ヘップバーンを彷彿とさせた。ホラーチックなシーンは目が覆いたくもなったが、映像も美しく見応えのある作品であった。

 深夜、いろいろと必要事項を整理していく。いやはや、あっという間に五月も後半戦。しっかりとやれることを進めたい。

5月16日(月)
 午前中、「凱風館」の室内仕上げを整理していく。昼、渋谷と原宿で所用を済ませて、神楽坂にある新潮社へ。買って頂いた銅版画をお渡しし、打ち合わせを一本。その他にも芸術新潮の方々とも会い、今後の連載の進め方について意見交換。しかし、レトロな雰囲気のある素敵な社屋だった。それこそ、カウリスマキ映画のワンシーン。ずっしりとした知の時間を感じ、さすが日本を代表する一つの出版社としての自覚ではないか。変わらないことの魅力(といっても僕は初めて行ったのですが)。

 夕方、桑沢デザイン研究所へ。「デザイン論」の第五講は、ポルトガル。先週のスペインとはまた違って大航海時代の繁栄と大陸をスペインと争った歴史、欧州の西の辺境としての国民性を話し、坂道ばかりのポルトの街がもつシークエンシャルな魅力が巨匠アルヴァロ・シザの建築に込められていることを説明。マトシンホスの海岸沿いにあるティーハウスとスイミングプール。マルコ教会とアルヴェイロ大学図書館、ポルと大学建築学科、リスボン万博のポルトガル館について話す。ケネス・フランプトンの地域主義などについても触れる。後半は、同じくヨーロッパの辺境としてイギリスで展開されたハイテクスタイルについて。フォースターの建築の最高峰、セインズベリー視覚芸術センターについて話す。テートモダンというリノベーションから伝説の展覧会、オラファー・エリアソンの太陽とイギリス人彫刻家アントニー・ゴームリーを紹介。ついついポルトガルについて詩人ペソアを紹介したり、あれこれ脱線してたら三時間を超えて延長してしまう。中休みと授業後にスケッチブックを実際に見せたら、学生たちの目がいきいきしていたので、パワポのスライドより実物がもつ力を感じてくれたようだ。感想文はやはり、シザの建築が好評だったが、最後駆け足になってしまった現代アーティストも気になったようだ。来週の始めに少しエリアソンとゴームリーを補足してみよう。

 夜、帰宅してメールなどの雑務。明日からの打ち合わせ事項を整理。気がついたら三時を回っていた。五月も折り返し。しっかりと時間を有効に使ってできることを積み重ねば。忙しいから走れないという言い訳をしないで、敢えて「サブ4」という高いハードルを自分に課してみる。

5月15日(日)
 午前中、打ち合わせの議事録をまとめて送信し、メールなどの雑務。昼の新幹線で帰京。久しぶりに周りの客がハズレ。子供はなくは、隣でマクドナルド食べ始めるは、で一向に読書に集中できなかった。イアフォンを忘れたことを後悔。

 東京に帰ってきて、すぐさま原宿ラフォーレへ。ヘンリーダージャー展を堪能。最終日ということもあって会場はごった返し。いやはや、アウトサーダーアートも何もドメジャー級の人気。作品も多数展示。画用紙の表に裏にも描いたダージャーの個展はいつもガラスをサンドイッチした額装で、前からも後ろからも二度楽しめる。写真のフィルムからの転写でトレースしていたことは有名な話しだが、やはり実物を見るとその色彩感覚に見とれる。自身をもってトレースした線と不安げに殴り描きされた線との対比が心象に残る。しかし今回またヴィヴィアン・ガールズと再会し、ダージャーの虐待などの暗い過去がアメリカ社会の問題を浮き彫りにし、一人孤独に戦争物語として描かれていることに驚嘆する。あと、最後の部屋の著名人らによるダージャーへのオマージュと題されたテキストの中で日本にいち早くダージャーを紹介した一人でもある都築響一氏の「死んだら燃やしてくれという遺言を踏みにじることに加担している」という言葉にハッとする。そうか、ダージャーは人知れず大小説を書き、絵を描いていた。死後評価されたゴッホとは全く異なる圧倒的孤独と寄り添う強さを「死んだら燃やしてくれ」という言葉に感じた。混んでない会場でもう少しゆっくり観たかったが、最終日に滑り込めて大収穫。興奮気味に会場を後にする。

 帰宅してあれこれと荷解きし、桑沢の講義の準備を進める。先週の即席課題の優秀作品をピックアップし、スキャンしていく。夜、NHKの放射線地図の特番を見る。正確な記録をする。正確なデータを公開する。この当たり前のようで当たり前でないことがまかり通っている国に不安感を覚える。パニックしないようにや風評被害という側面も確かに大事だが、基準値を上げて「問題ない」というのはどうしても納得いかない。番組最後に汚染地区に残されたわんちゃんが飼い主の車を追いかけるシーンはどんな映画よりもリアルで涙が出る。福島第一原発のすぐ近くより遠くは慣れた場所にホットスポットがみつかったことやこうした地道な計測、記録作業がエンドレスにやり続けねばならないということの重大さにぐったりしてしまう。こればかりは日々刻々と変化するので残念ながら終わりなき旅である。収束に向かうという奇跡に対して祈りや願いの力が伝わってほしい。

5月14日(土)
 午前中、メールなどの雑務。昼、「凱風館」の現場にて山本画伯と能舞台の「老松」制作についての打ち合わせ。絵のプロポーションや素材、スケジュールについて話しあう。エスキスのための出雲への旅に同行させてもらうことになった。続けて、共同通信社の取材を受ける。あれこれと「凱風館」について、また建築家としてのスタンスなどについて話す。それから中島工務店とみっちり設計の打ち合わせを三時間。屋根から壁、床、手すりへとしっかり話し合う。決めることを決めていかねばならない時期なのでしっかり調整。

 夜は、奈良にてF歯科医院の打ち合わせ。第一案の提案から二ヶ月が経ってしまった。震災があり、スケジュールがあわなくなってしまった。しかし、しっかりと話し合う。親子で営む歯科クリニックのあり方について話しを聞き、それを空間化できる方法を考える。まだまだ始まったばかり、お互いのコミュニケーションの精度を上げて、来月末の第二案の提案を約束する。

5月13日(金)
 東京は今日も曇り。地面には雨が残る。朝一の新幹線で神戸へ。車中、寝ることができず、打ち合わせ項目の整理と原稿を書き進める。フォルコラについて。

 午前中、「凱風館」の現場にて外壁下地が張り始められたのを確認。そして、すぐさま大阪ガスとエネファームの打ち合わせ。続けて放射冷暖房PSの打ち合わせ。資料を確認しながら、もろもろフィックスしていく。遅めの昼食を済ませて、次は金箱構造事務所の坂田さんと中間検査。アンカーボルトやホールダウン金物のチェック。懸念事項を話し合って、問題なく進めていく。夕方、ホームセキュリティーSECOMと打ち合わせ。最後は内田先生夫妻が現場に登場。SECOMのプレゼンテーションを受け、あれこれと決めていく。それからは、現場の二階に上がって、具体的な空間を確認しながら新しいアイデアを整理する。また、内田先生と一緒に屋根の上に登って六甲山の夕焼けを見る。近所のカフェに移動して、設計の打ち合わせ。八時過ぎに全て終了。ヘトヘトの充実感。

 電車に揺られて奈良の実家に帰る。車中、爆睡。帰宅後、早速打ち合わせの議事録の作成をはじめるも、ほどほどでベットに倒れ込む。パタン。

5月12日(木)
 午前中、メールなどの雑務。昼から日大船橋校へ。ベーシック建築デザイン。今までの二課題とGWの宿題の提出。本日の課題は、線の種類について鉛筆とインキング。製図はとにかく丁寧に感覚を身に付いていくしかない。綺麗に線を引くことがコミュニケーションになることがいずれわかるだろう。課題の採点を早速進める。今は成績に一喜一憂しないで、とにかく「製図」という行為に慣れてほしい。ペンやホルダーが自分の指先の延長として使いこなせるようになってほしい。

 3コマ終えて、帰宅すると夜。「凱風館」の展開図をチェックして、明日の打ち合わせ資料を作り上げる。気がつけば深夜。ランニングがしたいが、天気には勝てない。雨ということで断念。あれこれと準備を済ませて寝る。

5月11日(水)
 朝から雨が降り続く。午前中、メールなどの雑務。「凱風館」1/30の模型を進める。書斎の床や本棚をつくり始める。明後日の打ち合わせ資料も進める。

 昼、もろもろの電話対応。午後、「ほぼ日」の担当者とアルテスの鈴木さんが来所。あれこれと事務所を案内。ドローイングやベルリンの蚤の市で買ったものについて熱いトークで盛り上がる。脱線し続けながらも二時間打ち合わせ。連載の進め方などを確認し、これからの方向性や新しいアイデアも生まれる。こうして魅力的な編集者とタッグを組むことで原稿にも勢いがついてくれるだろう。何より、多くの人に情報発信することが一番の薬。楽しみたい。

 夕方、平面図と展開図の修正ポイントを整理して、換気塔のバリエーションをまとめる。雨は止むことなく、今日のランニングをあきらめる。深夜、『生態学的視覚論』を読み進め、早速「凱風館」の原稿を書き続ける。

5月10日(火)
 午前中、メールなどの雑務と諸々の電話対応。午後「凱風館」の換気塔のデザインをあれこれ考えて、模型で検討。能舞台の「老松」制作についても山本画伯と電話で話し合う。月末に出雲大社と広島へのエスキースの旅に同行させてもらうことになった。美容サロンについてもあれこれと最後の詰めの調整。

 夕方から雨が降り始めるも、夏のような湿気で蒸し蒸しする。深夜、明日の打ち合わせの準備を進めて、『生態学的視覚論』を少しずつ読み進める。

5月9日(月)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。昼、桑沢の講義の準備を終える。ホームページのアーカイビング作業。午後、上野の美容サロンの現場へ。壁と天井が完成し、白い空間が立ち上がり、残るは鏡と電気、設備関係のみ。震災の影響でガス給湯器の手配が心配。エントランス部に立ち上がるコールテン鋼の壁が内外の境界線に変化をつけ、イメージ通りに仕上がる。清潔感のある、明るい美容サロン
が近く上野/入谷にオープンする。

 夕方、一昨年に内装設計したNIDアパレル・ショップに顔を出し、DUNE社長と近況報告。ペーター・ペトロフの新作パーカーを購入。このデザイナーのカットや材料のセンスにいつも驚かされる。

 すぐに桑沢デザイン研究所へ。「デザイン論」第四講は、スペインのバルセロナからスタート。ガウディの建築をモデルニスモから説明し、アントニオ・タピエスの絵画からもカタルーニャの文化を紹介。ガウディを模倣したサイモン・ロディアも紹介。続けてバスク地方の紹介として彫刻家チリーダとビルバオ・グッゲンハイム美術館について話す。バレンシア出身の建築家カラトラバの構造を美学までもっていったデザインへと続く。最後は、コルドバのメスキータとグラナダのアルハンブラ宮殿を通してスペインのキリスト教とイスラム教のせめぎ合いの建築を紹介。そこに蓄積、積層した時間が現代に伝える「排除しない」建築の魅力について話したところでタイムアップ。最後に、「自分の部屋を描け」というミニ課題を出す。それぞれ、面白い表現をして提出してくれたので来週しっかりとクリティックしたい。

 今日は授業後、初めて有志の学生たちと一緒に飲み会を開催。半数近い15人と飲む。自己紹介から始まって、みんなが授業をそれぞれしっかりと聞いて、好奇心を刺激することができていることを実感。いろいろと質問攻めにあうも、真剣に考えていることを皆にぶつけて、楽しいキャッチボールの時間になった。

 深夜、デスクワーク。今週の打ち合わせ事項を整理して、これからの「凱風館」の進め方についてあれこれ考える。『生態学的視覚論』を読み進める。実に濃厚な文章が続き、ズキズキ思考を刺激する。

5月8日(日)
 午前中、メールなどの雑務。昼、阪神電車に揺られて御影へ。「凱風館」の現場にて木材のサンプルをチェック。電話対応もろもろ。午後から甲南麻雀定例会。夕方までわいわい、じゃらじゃら。二戦〇勝。共に「オーラス」が勝負所だったが、まずは千点届かずの二着、それと次は親でちょんぼ、という失態。いやはや、麻雀は奥深くて面白い。

 帰りの新幹線でギブソンの『生態学視覚論』を読み進める。線を沢山引き、久しぶりのずっしりとした読書。LAT's読者会に向けてしっかり読み込もう。

 夜、気になっていたDVD『神の子どもたちはみな踊る』(監督:ロバート・ログバル、2007)を観る。大好きな村上春樹の短編を原作として、アメリカのLAを舞台に映画化されていた。やはり、原作とは別物として観ないといけないのは最初から分かっていたが、楽しめた。ケンゴの恋人役のソーニャ・キンスキーが『パリ、テキサス』のナスターシャ・キンスキーの愛娘だと知り、納得の美貌と存在感。

5月7日(土)
 午前中、メールなどの雑務。昼、あまりの天気が良さに、実家で仕事してるのがばかばかしくなったので、一人ぶらりと散歩の旅に。奈良の東大寺南大門を見て、重源の建築の迫力に心を和ませて、三月堂まで散策。奈良時代と鎌倉時代の屋根が400年の時間を経て寄り添っている美しさにこれまた心が和む。帰りに鐘楼を眺めて、手を合わせる。
大好きな奈良の散歩コース。

 カフェで昨日の打ち合わせの資料を整理して項目をチェックする。それから「凱風館」の原稿を推敲。昔の自分との対話。微調整が続く。夜、NHKの巨大津波の特番を見る。奇跡的な助かり方をした人の話しが紹介されていた。自然の驚異と人間の底力に言葉を失う。

 深夜、小学校まで半時間ほどのランニング。それからまた「凱風館」の原稿を進めて、やっと5000字ほどまとめる。送信して、倒れ込むように寝る。

5月6日(金)
 午前中、メールなどの雑務。電車に乗って御影へ。今日も車窓から見える六甲山が美しい。昼、「凱風館」の現場へ。間柱が入った現場を歩きながらスケール感を確認、撮影する。すぐに淡路島から山田脩二さんも現場入り。早速建築内と外部を案内。瓦をいかようにして使っていくかについて打ち合わせ。今月内に外構のデザインをしっかりまとめたい。

 続けて、中島工務店と設計の打ち合わせ。平面の細かい変更、建具や開口部の話し、屋根のディテール、ガーデンテラスのてすり、寺子屋机の第二案についてなどなど話し合い、決めていく。途中、内田樹先生夫妻も登場。壁や床を張り始めたので、建築内を案内。昨日の鹿の角と美山の土の最新サンプルを持ってきて頂く。気がつけば七時間近く現場にいたことになる。しかし、建築現場でその建築の話をするのは実に生産的。意識も空間性も精度よく想像できるので話しが早い。これからもこうして定例会をしっかり重ねながら内部を仕上げたい。

 夜、電車で奈良の実家に帰宅。打ち合わせの資料を見直しながらあれこれ整理しながらの一人反省会。決めねばならないことも多いが一つ一つちゃんと進めたい。上野の美容サロンの方もいよいよ壁と床の仕上げ工事に入ったとのことでこっちも完成が楽しみ。

 深夜、ついに『生態学的視覚論』(J.J.ギブソン、サイエンス社、1985)を学生時代ぶりに再読スタート。LAT's読書会を機会に身体性と建築の現代的意味について考えるきっかけにしたい。こいつは手強い一冊になる。しかし、あっという間に五月も一週間か。

5月5日(木)
 午前中、ゆっくり、ぐっすり寝る。青空の美しい春の一日。美山の美しい風景に見入る。昼前、新潮社の方々も来て、田んぼのある茅葺き屋根の前で小林家のみなさんと内田先生と記念撮影。

 昼、裏山で「凱風館」の土壁になる土を採りにいく。井上左官職がせっせと土を削って袋に詰めていく。21袋、ぎっしりと収集。こうして美山町の杉が建築の柱と梁になり、美山の土が壁となっていく。建築の本質となる材料が顔の見える形で組み上げられていくのは素晴らしいこと。理解のあるクライアントに技術のある職人、自然の中で仕事する林業家が揃うことで建築家がしっかりタクトを振ることで強度のある建築がつくられると実感する。それは沢山の壁をクリアして蓄積していくことでのみ達成できるはず。

 午後、小林家の台所で井上さんの土の話しを伺う。漆喰や土壁から話は始まって、珪藻土の開発や特許についてのオープンマインドな話が印象的。それから小林さんが実際に「凱風館」のために杉の木を伐った山を見に行く。足を痛めている内田先生も初めて実際の山を見て、坂を上って入っていく。

 山があり、田んぼがあり、川がある。そこに爽やかな凱風が吹き、日本の風景の美しさに心が温まる。そんな自然のはかなさを目に焼き付けながら、内田先生の運転する車で神戸まで帰ってくる。毎年GWに20年以上継続して行かれている恒例行事に二年連続同行することができて、大変充実した時間を過ごすことができた。電車で奈良の実家に帰ってくる。メールなどの雑務。

 夜、近所を半時間程ランニング。気持ちのいい汗をかく。深夜、読書をして寝る。

5月4日(水)
 午前中、メールなどの雑務と「凱風館」の展開図をチェック。寺子屋机についてもスケッチを重ねる。昼、御影にて内田先生と合流し、車で京都美山町へ。昨年同様、GW恒例行事、「山菜てんぷらを食べる会」に同行させて頂く。

 車中、内田先生とカントリーミュージックを聴きながら、あれこれと話し込む楽しいドライブ。高速道路無料化で昨年よりも渋滞が続くも三時間で美山町に到着。自然の風景の美しさにほっとする。茅葺き屋根の前で「哲学する木こり」こと小林直人さんとご家族のみなさんと再開し、台所の大理石の大きな机を囲んでご挨拶。ほどなく新潮社の方々も到着し、宴会が始まる。美味しい山菜てんぷらは、たらの芽、こしあぶら、うど、タケノコという具合にたらふくごちそうになる。深夜までとにかく盛り上がり、沢山の話しを聞く至福の時。鹿の角の話や炎を描くという話、林業、政治の話などなど。田んぼのカエルがゲロゲロ鳴く中、離れで内田先生とふとんを並べて寝る。

5月3日(火)
 午前中、ゆっくり寝る。昼、昨日の打ち合わせの議事録を作成して送信。早速「凱風館」の寺子屋机の修正案をスケッチ。安定感を出すためのアイデアをスケッチする。続けて施工図のチェックも進める。阪神対巨人の試合をテレビで見ていると、鳥谷/新井/ブラゼルの3本連続ホームランを見る。金本のホームランから始まって、やっと打線に勢いがついたようだ。投げては能見が巨人戦8連勝という偉業で完投勝利。

 夜、出張中で父はいないものの、母の誕生日ということで祖母と三人でイタリアンを食べに行く。帰りにDVDを借りて『クロッシング』(監督:アントワン・フークア、2010)を観る。3人の刑事による心の葛藤が正義という多面的な価値観の下で練り上げられ、最後に一つの場所で交錯(クロッシング)する。

 深夜、小学校までランニングして身体を動かす。まだ半時間くらいしか走れない。しっかりと絞り込んでいかないとだめだな。やはり断食しようかな。『知的生産の技術』(梅棹忠夫、岩波書店、1969)を読み終わる。発見の手帳からカードなどとても貴重な術を教えてもらった気がする。問題は、自分の方法として継続できるかがポイントだろう。無理をしないでやり続けられる方法をみつけたい。しかし、多くの方法を僕は旅や読書を通して実践していることを知る。継続は力なり。「カナモジ・タイプライター」という固有名詞に惹かれて、想像力を刺激する。週末に梅棹忠夫氏の展覧会に行きたい。楽しみ。

5月2日(月)
 午前中「凱風館」の建具と換気塔のデザインをスケッチ。展開図のチェックも進めて、打ち合わせ資料を完成。売れた二枚の銅版画の額装を手配する。昼、新幹線で神戸へ。車中、『知的生産の技術』(梅棹忠夫、岩波書店、1969)を読み進める。面白いし、展覧会が楽しみ。

 夕方、「凱風館」の現場にて内部の土壁のサンプルをチェックする。井上左官職が美山町の土を練ってサンプルを作ってくれた。根太を敷いて、合板を捨て張りした二階に上がって、あれこれと空間のスケール感を確認。ロフトからしっかりと光が入ってきてワクワクする。西村珈琲に移動して、中島工務店の加藤さん、馬越さんと打ち合わせ。建具枠のディテールをみっちり決めていく。

 夜は、内田先生夫妻と設計の打ち合わせ。私塾のための寺子屋机の試作品を持参。檜の集成材で綺麗に作られて、安定感や重量について意見交換。それから食事をしながら建具や内部の仕上げについて話し合う。阪神と近鉄電車で奈良の実家に帰宅。風呂に入って、読書。深夜、メールなどの雑務を済ませて寝る。

 今日はオバマ大統領による「ビン・ラディン殺害」を伝えるスピーチを複雑な思いで聞き入る。「Justice has been done」というラインが耳に残る。僕にとって現実がフィクションを超えた事件は、95年の阪神大震災と地下鉄サリン事件(当時15歳)よりも911のWTCに航空機が突撃し、ビル崩壊を見た時(当時21歳)かもしれない。そして今年の東日本大震災。こうした大事件の容疑者として喉から手が出る程捕まえたかったであろうビン・ラディンを10年かかり、更に捕獲でなく、いやむしろ殺害した。このことが生み出すであろうアメリカ側とイスラム側の事件の受け止め方は表裏一体。オバマへの賞賛とアメリカへの報復。これらが生み出すやもしれぬ負の連鎖が気がかりで気が重い。

5月1日(日)
 午前中、『驚異の工匠たち』を再び流し読みする。ヴァナキュラーという概念について頭の中で整理する。『建築家なしの建築』と二冊でルドフスキーは、建築/建築家/工匠という建築に関わる三つのタームをすべてタイトルで使っていることになる。彼が建築家なき建築、工匠なき建築というものに光を当てることで近代批判をしようとしたことは明らか。ポストモダニズムについてハーヴェイが条件をつけたように、近代建築に対する不自由さを創作の原点に位置づけていたのだろう。

 昼、神宮前の界工作舎へ。LAT's読書会へ参加。難波先生とあれこれ話す。メタボリズムの本について興味深い指摘を受け、必読書であることを確認。次回、ギブソンの『生態学的視角論』を担当するので細かいことを話し合う。岩元くんの発表を聴いたところでタイムアップ。ルドフスキーについて議論したかったところだが、途中退席。

 すぐさま、中野富士見町のPLANBへ。山田脩二さんの写真集『日本旅1961-2010』(平凡社、2010)の出版記念会に出席。脩二さんの写真を壁一杯にプロジェクションして、解説を聞く。映し出される60年代の日本の集落、都市のイメージに驚愕する。深みのある黒、影が印象的なモノクロームから後半は淡路島を撮っている珍しいカラー写真まで見せて頂く。編集者の大崎紀夫氏、建築家の樋口裕康氏、編集者の松岡正剛氏、主催者の木幡和枝氏のトークを交えて第一部が終わる。後半は、東北の被災地を訪れた時の写真の後、『日本村』の12枚の写真をバックに舞踏家の田中泯氏が踊るというフルラインナップ。大野一雄や土方巽のそれを見たように感じた濃厚な時間。その後パーティー。素敵な食事とお酒を頂き、脩二さんや松岡正剛さんと話し込む。

 新宿の本屋で本を物色して帰宅。深夜、明日からの出張の準備をあれこれ進める。「凱風館」の展開図を再度チェック。これからは内部をしっかり進めねばならない。五月という新しい月の始まりでまた頭も身体もリフレッシュしたい。

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